長者番付
3行でわかるあらすじ
江戸から旅に出た二人連れが、田舎の造り酒屋で少量の酒を売ってもらえず「うんつく」「どんつく」と悪態をつく。
その意味を問われて困り、長者番付を見て「運がつく」という意味だと騙し、鴻池や三井の話をでっち上げる。
最後に酒屋の主人に「うんつくになりなさい」と言われ、「うんつくなんて大嫌いだ」と答えるオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
江戸から遊山旅に出た二人連れが、村の茶店で「村さめ」「じきさめ」という変な酒を飲む。
近くの造り酒屋で一升の酒を買おうとするが、馬一駄、車一台、船一艘でないと売らないと言われる。
兄貴分が怒って「この田舎者のどんつく野郎、うんつく野郎」などと悪態をつく。
酒屋の主人が怒って二人を取り囲ませ、「うんつく」「どんつく」の意味を教えろと迫る。
困った兄貴分は、主人の後ろの長者番付を見て口からでまかせを始める。
「うんつく」は運がつく、「どんつく」もどんどん運がつくという意味だと言い逃れる。
鴻池善右衛門が澄み酒を作った話、三井八郎衛門が越後屋を開いた話をでっち上げる。
酒屋の主人はすっかり信じて酒を振る舞い、利き酒の方法まで教えてくれる。
帰り際に主人が追いかけてきて「早くうんつくになりなさい」と言う。
兄貴分が「俺たちゃうんつくなんて大嫌いだ」と答え、主人が「生まれついての貧乏性か」と言うオチ。
解説
「長者番付」は古典落語の中でも江戸と田舎の文化的な違いを面白おかしく描いた代表的な作品です。江戸っ子の二人が使う「うんつく」「どんつく」は本来、馬鹿や間抜けを意味する悪態ですが、これを「運がつく」という縁起の良い言葉だと騙すところに、江戸時代の都市と農村の情報格差が表れています。
物語の中で言及される鴻池善右衛門と三井八郎衛門は、実在した江戸時代の大商人です。長者番付とは、相撲の番付表になぞらえて全国の金持ちを東西に分けて序列化したもので、庶民の間で人気がありました。主人公がこれを見て即座に話をでっち上げる機転の良さが、江戸っ子の口八丁を表現しています。
最後のオチは二重構造になっています。「うんつく(運がつく人)になりなさい」と善意で言う田舎者に対し、「うんつく(馬鹿)なんて大嫌いだ」と本音を言ってしまう江戸っ子。それを「生まれついての貧乏性」と誤解する田舎者。この誤解の連鎖が、落語らしい絶妙な笑いを生み出しています。
あらすじ
江戸から遊山旅に出た二人連れ、村の茶店で飲んだ酒が、村を出ると酔いが醒める「村さめ」と飲むとすぐ醒める「じきさめ」。
弟分はこれをガブガブ飲んだもんで頭が痛いという。
近くに造り酒屋があるというので、酒を売ってもらいに行く。
酒屋の主人に1升売ってくれと頼むが、2升、5升でも造り酒屋なのでそんな少量では売れないという。
いくらなら売るのかと聞くと、馬に一駄か、一車か、船に一艘なら売ると言われる。
これを聞いた兄貴分が頭にきて、この田舎者のどんつく野郎、うんつく野郎などと悪態を浴びせる。
怒って何を言っているのか分からない酒屋の主人、若い者に耳打ちし、部屋にかんぬきをかけさせ、回りを薪雑ぽうを持って取り囲ませる。
主人は酒は売るから、「うんつく」、「どんつく」の意味を教えろとせまる。
困った兄貴分は、主人の後ろの長者番付を見て、口からでまかせの話を始める。
「うんつく」は運がつく、「どんつく」もどんどん運がつくということだと言うが、主人は半信半疑だ。
そこで、長者番付の西の大関、鴻池善右衛門に運がついて、「澄み酒」を作ったいきさつ、東の大関、三井八郎衛門が旅先で運がつき商売を始め、ついには江戸に出て越後屋の暖簾をあげた話をする。
すると、酒屋の主人はすっかり感心、納得して無礼を詫び、二人にいくらでも飲んでくれと酒を振舞う。
そして、造り酒屋へ入ったなら、「江戸の新川の者でございますが、利き酒をさせてもらいたい」と言えば、ただで、いくらでもいい酒を飲ませてもらえると教える。
今日は泊まっていけと言うのを断り、帰り際に主人の女房は「女うんつく」、せがれは「子うんつく」などとたたみかけると、主人はすっかり喜ぶ。
造り酒屋を店を出ると、
弟分 「兄貴はよく、鴻池だの三井の先祖のいわれを知っているなあ」
兄貴分 「ああ、さっきの話は口からでまかせのでたらめだ」
弟分 「でたらめ? やっぱりそうか。
江戸じゃ、馬鹿とかまぬけの、「うんつく」、「どんつく」をよくこじつけて話しを作ったもんだ。
田舎者なんてこんは甘えもんだなあ」
すると、後から酒屋の主人が追ってくる。
弟分 「おやじがだまされたことに気がついて追っかけて来たんじゃねえか?」
主人 「おおい、江戸の方」
兄貴分 「何だい、うんつく」
主人 「おめえさまがたも早く江戸さへ帰って、一生懸命はたらいて、いいなうんつくになんなせいよ」
兄貴分 「なに言ってやがんで、俺たちゃあ、うんつくなんざでえ嫌えだ」
主人 「なに、でぇ嫌え、ああ生まれついての貧乏性か」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 長者番付(ちょうじゃばんづけ) – 江戸時代に発行された全国の富豪を相撲の番付表に模して東西に分けて序列化した一覧表。庶民の娯楽として人気がありました。
- 鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん) – 江戸時代の大坂の豪商。清酒醸造で財を成し、両替商として全国に名を知られました。実際に清酒の改良に貢献した歴史があります。
- 三井八郎衛門(みついはちろうえもん) – 三井財閥の創始者・三井高利のこと。越後屋呉服店(現在の三越)を江戸に開き、「現金掛け値なし」の商法で成功しました。
- 造り酒屋(つくりざかや) – 酒を醸造・販売する店。江戸時代は大量販売が基本で、小売りはしないのが一般的でした。
- 村さめ・じきさめ – 噺の中での粗悪な酒の表現。「村さめ」は村を出ると酔いが醒める、「じきさめ」はすぐに酔いが醒めるという洒落。
- 一駄(いちだ) – 馬一頭が運べる荷物の量。酒の場合は二斗樽二つ分、約72リットルに相当します。
- 新川(しんかわ) – 現在の東京都中央区新川。江戸時代は酒問屋街として知られ、全国の酒が集まる場所でした。
- 利き酒(ききざけ) – 酒の品質を判定するために少量ずつ味見すること。酒問屋や造り酒屋では商談の際の慣習でした。
- うんつく・どんつく – 江戸時代の俗語で、馬鹿者や間抜けを意味する悪態。地方では聞き慣れない言葉でした。
よくある質問(FAQ)
Q: 「うんつく」「どんつく」は実際に使われていた言葉ですか?
A: はい、江戸時代の江戸で実際に使われていた俗語です。田舎者や間抜けを罵る言葉として使われており、主に都市部で通用する言葉でした。地方では意味が通じないことが多かったようです。
Q: 鴻池善右衛門と三井八郎衛門の話は本当ですか?
A: 噺の中で語られる二人の逸話は主人公の作り話ですが、両家とも実在した江戸時代の豪商です。鴻池家は清酒醸造と両替商、三井家は呉服商として実際に成功を収めました。
Q: なぜ造り酒屋は少量の酒を売らなかったのですか?
A: 江戸時代の造り酒屋は製造元であり、基本的に問屋や小売店への卸売りが主でした。一般客への小売りは効率が悪く、馬一駄分などの大量購入が前提でした。
Q: 長者番付は誰でも見ることができたのですか?
A: はい、長者番付は庶民向けの読み物として広く流通していました。相撲番付のような形式で富豪の名前が載っており、庶民の好奇心を満たす娯楽的な出版物でした。
Q: この噺は江戸落語と上方落語の両方にありますか?
A: 「長者番付」は主に江戸落語の演目です。江戸と田舎の対比、江戸っ子の口八丁を描いた内容は、江戸落語の特色が強く表れています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 端正な語り口で、江戸っ子の粋と田舎者の純朴さを見事に演じ分けました。特に「うんつく」の説明をする場面の機転の良さが絶品でした。
- 柳家小さん(五代目) – 人間国宝。品格ある語りながら、江戸っ子の悪態と田舎者の困惑を絶妙に表現。長者番付を見ながら話を作る場面が特に評判でした。
- 三遊亭金馬(三代目) – 軽妙な語り口で、テンポよく物語を進める名手。「村さめ」「じきさめ」の場面での表現が観客を大いに笑わせました。
- 春風亭柳好(五代目) – 飄々とした芸風で、江戸っ子の図々しさと田舎者の人の良さを対比的に描きました。
関連する落語演目
同じく「旅・道中もの」の古典落語
江戸と田舎の対比を描いた落語
言葉遊びや勘違いがテーマの落語
この噺の魅力と現代への示唆
「長者番付」は、都市と地方の文化格差、情報格差を巧みに笑いに変えた作品です。江戸っ子が使う「うんつく」「どんつく」という悪態を、機転を利かせて「運がつく」という縁起の良い言葉に変換する発想の転換は、現代のコミュニケーション術にも通じます。
この噺が描く「騙す側」と「騙される側」の関係は、単純な詐欺話ではありません。田舎の酒屋の主人は、最後まで善意で「うんつくになりなさい」と励ましており、その純朴さが逆に江戸っ子たちを困惑させます。これは、悪意のない誤解が生む笑いという、落語特有の優しいユーモアです。
現代においても、都市と地方、若者と年配者、異なる文化背景を持つ人々の間で、同じような誤解やすれ違いは日常的に起きています。SNSでの炎上や世代間ギャップなど、コミュニケーションの齟齬は今も昔も変わらない人間の課題です。
実際の高座では、江戸っ子の啖呵と田舎者の訛り、「うんつく」から「運がつく」への転換の巧みさ、鴻池や三井の話をでっち上げる際のリズミカルな語りなど、演者の技量が光る場面が多くあります。特に最後のオチ「生まれついての貧乏性か」は、演者の間の取り方次第で笑いの大きさが変わる重要な場面です。
機会があれば、ぜひ生の落語会でこの名作をお楽しみください。江戸時代から続く言葉遊びの妙と、人間の愚かさと優しさを同時に描いた落語の醍醐味を感じることができるでしょう。










