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赤穂浪士 泉岳寺引き揚げ 講談|あらすじ・見どころを完全解説

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泉岳寺引き揚げ
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赤穂浪士 泉岳寺引き揚げ 講談|あらすじ・見どころを完全解説

泉岳寺引き揚げ(せんがくじひきあげ) ─ 講談演題「引き揚げ・泉岳寺」は、赤穂浪士本伝において 本懐後の静謐 を描く一席。討入を終えた四十七士が吉良上野介の首級を携え、本所から高輪泉岳寺まで江戸市中を行軍し、主君浅野内匠頭の墓前に首を供えて焼香するまでを語ります。

神田伯山の蔵出し講談

項目 内容
演目名 引き揚げ・泉岳寺(ひきあげ・せんがくじ)
別題 両国橋引き揚げ/泉岳寺焼香/主君の墓前
ジャンル 講談・御記録物(赤穂義士伝本伝)
主人公 大石内蔵助以下四十七士
舞台 元禄十五年十二月十五日朝、本所〜高輪泉岳寺
見どころ 市中行軍の沿道の喝采と、主君墓前での焼香
連続物 赤穂義士伝 本伝の第十席

赤穂義士伝 本伝の流れ

赤穂義士伝本伝は大長編。本席は 「泉岳寺引き揚げ」 の一席です。

  1. 松の廊下 — 元禄十四年の刃傷事件
  2. 浅野内匠頭 切腹 — 田村邸での無念の最期
  3. 赤穂城明け渡し — 大石の無血開城
  4. 大石東下り 垣見五郎兵衛 — 神奈川宿の名場面
  5. 円山会議 — 討入正式決議
  6. 大石妻子別れ — 山科の別れと二度目の清書
  7. 南部坂雪の別れ — 瑤泉院への暇乞い
  8. 討入装束 本所勢揃い — 三か所の集結
  9. 吉良邸討ち入り — 修羅場読みの真骨頂
  10. 泉岳寺引き揚げ ← 本席 — 主君墓前での焼香
  11. 切腹(四家お預け) — 四十六士の最期

3行でわかるあらすじ

討入本懐を遂げた四十七士は、吉良の首を槍に掲げ、本所松坂町から主君浅野内匠頭の墓所がある高輪泉岳寺を目指して江戸市中を行軍する。
沿道の町人は噂を聞きつけて集まり、声援を送り、冷酒や握り飯を差し入れる。
泉岳寺に到着した一行は主君の墓前に吉良の首を供え、全員で焼香する。その後、大石内蔵助は大目付仙石久尚の屋敷に義士自訴の届け書を提出する。

10行でわかるあらすじと見どころ

討入の終わった卯の刻(午前六時頃)、冬の朝日がうっすらと雪の本所を照らし始める。大石内蔵助は四十七士を吉良邸の門前に整列させ、各自の負傷の有無を確かめる。

吉良上野介の首級は、布に包んで槍の穂先に掲げる。

一行は吉良邸を発ち、南へ向かう。本所松坂町から 両国橋 を渡り、江戸市中を南下する行軍ルートを取った(※史実上は両国橋は通らず、永代橋を渡ったとする説が有力)。講談ではこの両国橋の場面が華のある見せ場として長く定着している。

夜が明け、江戸市中は朝の賑わいを取り戻しつつある。噂は瞬く間に広まり、沿道には人垣が築かれ、「赤穂のお侍が本懐を遂げた」「あっぱれ、天晴れ」の声が飛ぶ。町人は冷酒、握り飯、甘酒を差し出すが、義士は皆これを丁重に断り、黙々と歩を進める。

やがて一行は高輪 泉岳寺 に到着する。浅野家の菩提寺であり、浅野内匠頭の墓所がある場所である。

山門をくぐり、墓所へ進む四十七士。墓前に吉良の首を洗って供え、大石内蔵助が主君の墓に向かって一礼する。

内蔵助「 殿、御本懐にござる

一同、順に焼香。涙を流す者、合掌する者、肩を震わせる者。

その後、大石は大目付 仙石伯耆守久尚 の屋敷に出向き、四十七名連名の口上書を提出して義士自訴の届けを行い、処分を幕府の裁定に委ねる。

解説

「引き揚げ・泉岳寺」は、赤穂義士伝本伝の中で 最も静謐な感動 を描く一席です。討入という激しい修羅場の直後に配置されることで、情の深さが際立ちます。講談師は修羅場読みの激しさから一転して、粛々とした語りで義士たちの「帰り道」を描きます。

講談ならではの魅力

この一席の魅力は、 「静けさの中に広がる情感」 です。讃える町人の声、控える義士の無言、泉岳寺の鐘の音、墓前の線香の煙。派手な立ち回りはありませんが、前席の討入の余熱が聴き手の胸に残っている分、主君の墓前の焼香の一拍が深い感慨を呼びます。

引き揚げルートの史実

義士が本所から泉岳寺まで行軍したのは事実ですが、正確なルートについては史料により異同があります。一般に語られる経路は以下の通りです。

  • 吉良邸(本所松坂町) → 永代橋 → 霊岸島 → 鉄砲洲 → 築地 → 芝 → 高輪 泉岳寺

史実上は 永代橋 を渡ったとするのが有力で、両国橋経由は講談・歌舞伎の脚色と言われています。それでも「両国橋引き揚げ」という別題が広く定着しているのは、両国橋の情景的な華やかさが物語に合うためです。

泉岳寺と浅野内匠頭の墓

泉岳寺は東京都港区高輪にある曹洞宗の寺院で、赤穂浅野家の江戸における菩提寺です。浅野内匠頭の墓所と、切腹した四十六義士の墓(寺坂を除く)が並んで現存し、現在でも毎年十二月十四日には 赤穂義士祭 が行われています。

寺坂吉右衛門の離脱

引き揚げの途中、もしくは泉岳寺到着前に、足軽身分の 寺坂吉右衛門信行 が義士から離脱しました。その理由には諸説あり、

  • 大石から討入の報告を遺族に伝える役を命じられたとする説
  • 身分の低さを慮って他の義士が逃したとする説
  • 自ら逃亡したとする説

いずれにせよ、寺坂は切腹を免れ、その後八十三歳まで長寿を保ちました。このため「四十七士」と言いつつ、実際に切腹したのは四十六名となります。

仙石邸への自訴

大石は討入後すぐに仙石久尚の屋敷に出頭したわけではありません。まず泉岳寺で焼香を済ませた後、吉田忠左衛門と富森助右衛門を使者として仙石邸に派遣し、四十七名連名の口上書を提出したと伝えられます。これにより義士らは幕府に対して「私闘ではなく大義の討入である」と主張しました。

あらすじ

さて、討入本懐を遂げたのは卯の刻過ぎ。

本所松坂町の吉良邸、庭先には雪が積もり、屋敷内の戦闘の跡もぼんやりと朝靄に霞んでおります。

大石内蔵助、一同を門前に整列させて、

内蔵助「一人残らず在るか」

点呼。四十七人、全員異状なし。軽傷の者はあれど、命に別状のある者はござらぬ。

内蔵助「 されば、主君の墓前にお供えに参ろうぞ

吉良上野介の首級は、浅野内匠頭の菩提寺泉岳寺の井戸で洗ってから墓前に供える段取り。白布に包まれ、槍の穂先に恭しく掲げられる。

四十七士、隊列を整え、吉良邸を発ちまする。

折から夜明け。本所の町に朝日がうっすらと射し、雪解けの湯気が屋根瓦から立ちのぼる。

一行、無言で歩みまする。

早朝の本所住民、物音に戸を開け、通りを覗き見て驚く。黒装束に白鉢巻、槍の先には白布に包まれた首。何者かは一目で知れる。

「あれは……赤穂のお侍じゃッ」

「本懐を遂げなすった、本懐をッ」

噂は瞬く間に広がります。一軒また一軒、戸が開き、人が飛び出し、手を合わせ、涙を流し、あるいは「天晴れ、天晴れ」と声を掛ける。

やがて一行は両国橋のたもとに至る。

この頃には沿道は黒山の人だかりであります。中には冷酒の樽を持ち出す者、握り飯を用意する者、甘酒を差し出す者まである。

町人「お侍、お疲れでございましょう、どうぞ一杯」

されど義士は皆、丁重に辞退。

吉田忠左衛門「ご好意、まことにかたじけなし。されど我ら、主君の御霊前に供物を捧げる身、道中の飲食はご遠慮申し上げる」

両国橋を渡り、江戸市中をしずしずと南下。霊岸島、鉄砲洲、築地、芝と南へ南へ。

江戸の町は賑わいの最中、商人も職人も仕事の手を止め、店先に出て四十七士の行軍を見送る。拍手と呼び声、時に涙の嗚咽。一行が通り過ぎた道筋には、線香の匂いと静かな感動が残ります。

時刻は既に辰の刻(午前八時頃)を回っておりましょう。

高輪の坂を上り切り、ついに一行は 泉岳寺 の山門前に到着。ここは浅野家代々の菩提寺、浅野内匠頭公のお墓も安置されておる曹洞宗の名刹であります。

山門の前で一同、一礼。大石が先頭に立って境内に入る。

寺の住職、老僧が驚き飛んで出て来られる。

住職「これはこれは、まことにご本懐、ご本懐にござりまするな」

内蔵助「長らくお世話に相成りまする。亡き殿の墓前に、ひとつお供えしたきものあり、お許しを」

住職、深く頷き、墓所への案内に立ちまする。

墓前にて。

吉良の首級は泉岳寺の井戸で丁寧に洗われ、白布を改め、墓石の前の三方に置かれる。

大石内蔵助、ひとり前に進み出、深々と拝礼。

内蔵助「 殿、ご本懐にござる。 一年九ヶ月、長らくのご無念、ただいま晴らしましてござる。ご覧じろ、吉良上野介、この通り、お首を持参いたしました」

声はかすれ、されど凛として澄んでおりまする。

一同、順に墓前に進み、線香を焚き、合掌。

堀部弥兵衛は老齢ゆえか、涙ぽろぽろ。

「殿、お待たせ致しました、お待たせ致しました」

堀部安兵衛は歯を食いしばり。

大石主税、若き大将はじっと手を合わせ、唇を噛む。

焼香を終えた一同、墓前に並び、主君に最後の挨拶を致しまする。

やがて大石、吉田忠左衛門と富森助右衛門を呼び、

内蔵助「両人、大目付 仙石伯耆守 殿のお屋敷へ。四十七名連名の口上書を持参し、義士討入の届けを差し上げよ。我ら、私闘にあらず、大義の本懐なりと、臆することなく申し上げるべし」

両名、口上書を懐に、泉岳寺を後にして大目付邸へと急ぐ。

残る義士は寺に留まり、住職の庫裡(くり)で粥を振舞われ、生涯最後の一息をつきまする。

本所より高輪まで約三里の道、およそ二刻の行軍。

雪の道を、血の付いた装束で、無言で歩み通した四十七人。主君の墓前にて、ついに 一年九ヶ月の全て が報われたのでございます。


講談用語解説

  • 引き揚げ(ひきあげ) — 戦闘の後に隊列を整えて撤収すること。討入後、吉良邸から泉岳寺までの行軍を指す。
  • 泉岳寺(せんがくじ) — 東京都港区高輪にある曹洞宗の寺院。赤穂浅野家の江戸菩提寺で、浅野内匠頭と四十六義士の墓が現存する。
  • 大目付(おおめつけ) — 幕府の職名。諸大名の監察と重要事件の裁定を担当する高位の役人。赤穂義士は大目付仙石久尚に自訴した。
  • 仙石伯耆守久尚(せんごくほうきのかみひさなお) — 討入当時の大目付。赤穂義士の自訴を受け、幕閣へ報告した人物。
  • 口上書(こうじょうがき) — 事情を記した陳述書。赤穂義士は四十七名連名で討入の趣旨を述べた口上書を提出した。
  • 自訴(じそ) — 自ら進んで役所に罪を訴え出ること。赤穂義士は討入を「罪」として自訴したのではなく、「大義」として届け出た。
  • 焼香(しょうこう) — 仏前で香を焚いて拝むこと。供養の作法。

よくある質問(FAQ)

Q: 実際に渡ったのは両国橋ですか、永代橋ですか?
A: 史実上は 永代橋 を渡ったというのが有力説です。両国橋経由とするのは講談・歌舞伎の脚色で、情景的な華やかさを重視したものと考えられます。どちらが正しいかは現代でも議論があります。

Q: 沿道の喝采は本当にあったのですか?
A: 当時の日記類にも早朝から江戸市中で赤穂義士の噂が広まり、人々が集まったという記述が残されています。講談や歌舞伎ほど大規模な喝采があったかは不明ですが、少なくとも庶民の関心を集めたのは史実です。

Q: 寺坂吉右衛門はなぜ離脱したのですか?
A: 諸説あります。最も広く語られるのは「大石から吉田忠左衛門の家族や浅野大学への報告を命じられ、任務のため離脱した」という説です。寺坂は八十三歳まで生き、義士の最期を世に伝える役を果たしました。

Q: 泉岳寺には今も墓があるのですか?
A: はい、港区高輪の泉岳寺には、浅野内匠頭の墓と四十六義士の墓が並んで現存します。毎年十二月十四日の 赤穂義士祭 には多くの参拝者が訪れます。

Q: 大目付の仙石邸はどこにあったのですか?
A: 当時の仙石久尚の屋敷は日比谷に所在しました。吉田忠左衛門と富森助右衛門が使者として訪れ、四十七名連名の口上書を提出しました。

名演者による口演

  • 六代目神田伯山 — 赤穂義士伝の通し読みを現代に蘇らせた第一人者。討入後の静謐を情感豊かに読む。

  • 三代目神田松鯉 — 人間国宝。泉岳寺焼香の場面を重厚に描く大家。

  • 二代目神田山陽 — 昭和の赤穂義士伝の名人。引き揚げの行軍描写に定評があった。

関連する演目

赤穂義士伝 本伝の前後

赤穂義士伝 銘々伝・外伝

  • 大石内蔵助 祇園一力茶屋 — 大石の遊興による欺瞞工作
  • 荒川十太夫 — 義士切腹の介錯を務めた下級武士の外伝

忠臣蔵を題材にした落語

忠臣蔵と落語:江戸文化の交差点 | 赤穂浪士を題材にした古典落語の世界
忠臣蔵と落語の深い関係を解説。赤穂浪士の仇討ちを題材にした古典落語の数々、江戸時代の庶民文化との関わりを詳しく紹介。

この噺の魅力

「引き揚げ・泉岳寺」の魅力は、 「クライマックスの後の余韻」 を描き切る点にあります。

普通の物語なら、討入本懐の瞬間で幕を閉じるのが自然でしょう。ところが赤穂義士伝は、その後の「帰り道」をしっかりと描きます。なぜなら討入はゴールではなく、 主君の墓前にお供えして初めて完結する ものだからです。四十七士にとって討入は手段、供物を届けることが目的であった。

講談師はこの一席を、修羅場読みから一転して静かな語り口で読みます。町人の喝采、義士の無言、雪道の足音、泉岳寺の鐘の音、線香の煙。これら全てが、派手ではなく、静謐な感動を醸成します。

そしてこの静けさは、すぐ次の一席「四家お預け・切腹」へと繋がります。本懐を遂げた義士たちは、自らも死ぬ覚悟を固めて自訴しました。泉岳寺の焼香は、主君への報告であると同時に、 自分たちの死出の旅立ち でもあったのです。

「引き揚げ・泉岳寺」は、赤穂義士伝という大河の物語において、 「大義が大義として完結する瞬間」 を描く、かけがえのない一席なのでございます。

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