坊主の遊び
3行でわかるあらすじ
楽隠居が床屋の親方と吉原に遊びに行くが、親方が酒癖が悪くておいらんに絡んで喧嘩になり出て行ってしまう。
一人で寝ていた隠居が腹いせに、酔って寝ているおいらんの髪を持参の剃刀で全部剃ってクリクリ坊主にしてしまう。
隠居が逃げた後、坊主頭になったおいらんが頭を撫でて「お客さんはまだここにいまさあね」と勘違いするオチで終わる。
10行でわかるあらすじとオチ
楽隠居が床屋の親方と一緒に剃刀を受け取りに行き、吉原に遊びに行く。
籬と溝萩というおいらんを相手に酒盛りを始める。
酒癖の悪い親方がおいらんに絡んで悪口雑言を浴びせる。
隠居が止めようとすると親方に「禿頭」と言われて喧嘩になる。
親方が「くそ坊主に説教されたくない」と言って出て行ってしまう。
隠居は一人で寝ているが、おいらんも他の客に呼ばれて出て行く。
夜中に酔ったおいらんが戻ってきて隠居の横で大いびきで寝る。
腹が立った隠居が腹いせに、おいらんの髪を剃刀で全部剃ってしまう。
隠居がこっそり逃げた後、坊主頭になったおいらんが目を覚ます。
おいらんが頭を撫でて「お客さんはまだここにいまさあね」と勘違いするオチ。
解説
「坊主の遊び」は、江戸時代の吉原を舞台にした廓噺の代表作で、楽隠居の悪戯心と復讐心を描いた痛快な作品です。物語の面白さは、最初は床屋の親方の酒癖の悪さが問題となって始まるものの、最終的には隠居の方がより悪質な行為をしてしまうという皮肉な展開にあります。
特に印象的なのは、隠居がおいらんの髪を剃刀で剃る場面の心理描写で、最初は眉毛だけのつもりが調子に乗ってクリクリ坊主にしてしまうという段階的なエスカレートが巧妙に描かれています。この場面は、人間の怒りや復讐心がどのように制御を失っていくかを表現した心理劇としても優れています。
最後のオチである「お客さんはまだここにいまさあね」は、おいらんが自分の坊主頭を隠居の頭と勘違いしたという絶妙な誤解で、物理的な笑いと心理的な皮肉を同時に表現した名場面です。隠居の悪戯が思わぬ形で発覚する可能性を示唆しながら、同時においらんの無邪気さも表現した、古典落語ならではの多層的なオチとなっています。この作品は、吉原という特殊な世界を舞台に、人間の欲望と復讐心をユーモラスに描いた廓噺の傑作として位置づけられています。
あらすじ
息子夫婦に店をまかせた楽隠居。
頭を丸めちゃいるが遊び心はまんまんだ。
床屋の親方の所へ頼んであったカミソリ(剃刀)を取りに行く。
今日は親方も暇そうで話がはずんで吉原へ繰り込もうということになった。
小料理屋で一杯やって、日ともし頃に大門をくぐった。
適当な見世を見つくろって登楼(あが)った二人。
籬(ませがき)と溝萩というおいらん(花魁)を見立てる。
酒、料理が運ばれ酒癖の悪い親方はおいらんにからみ始める。「・・・さっきから見てりゃあ、お高くすましていやがる。・・・いい気になりゃあがって、てめえたちはおいらんなんて面じゃねえ・・・」と、悪口雑言の連発。
隠居が「まあ、まあ、・・・」と止めると、「やい隠居、やけに女の肩持つじゃねえか」と、からみ始めた。
隠居「いい加減しなさい。悪い酒だ」、親方「何を言いやがる。この禿(はげ)頭!」で、手がつけられない。
親方「まずい酒に料理、おまけにくそ坊主に説教されたんじゃたまんねえ、俺はほかへ行く」と言って出て行ってしまった。
すっかり座も白け切ってしまって、もうお引けということにする。
すると、「籬さーん」と呼ばれて、おいらんは出て行ってしまった。
隠居は酔いも手伝ってぐっすり寝てしまった。
夜中に目を覚ました隠居、今日ぐらい嫌な思いをした日はない。
酒癖の悪い親方からは喧嘩を吹っ掛けられるし、おいらんは出て行った切りで、遊びに来てこんな所で一人で寝ている。
あァ嫌だ、嫌だと後悔するのみ。
しばらくするとドタンバタンを大きな音がしたと思うと、いきなり障子がガラッと開いて、へべれけに酔ったおいらんが入って来て、隠居の寝ているそばにばたりと倒れてぐーぐーと大いびきで寝てしまった。
鼻から提灯を出して寝ているおいらんを見ていると、むらむらと怒りが込み上げて来る。
うっ憤晴らしに、目が覚めてびっくりするようないたずらをしてやろうと考え始めた隠居。「そうださっき受け取った剃刀でおいらんの片方の眉毛の落としてやろう・・・」で、カミソリの切れ味を試した。
薄い眉毛はすぐに剃れてしまって面白い顔になったが、剃りがいがない。
そしてもう一方の眉毛からもみあげへと進み、ついにはすっかり剃り上げてクリクリ坊主にしてしまった。「あぁこれでさばさばした」だが、調子に乗り過ぎたと後悔し始める。
見つからないうちにと隠居はこそこそと脱出をはかる。
階子(はしご)の下までは無事たどりついたが、若い衆に気づかれ、「おや、お帰りさまで? おいらんは、どなた・・籬さんで? ただいま呼びますのでちょっとお待ちを」
隠居「呼ばなくともいいよ。寝かせといてやりな。・・・すぐ帰るから履物出しとくれ」で、帰ってしまった。
若い衆は客が帰ったのも知らないでまだ眠っているおいらんを起こしにかかる。「ちょっと、籬さん、籬さん」、やっと気づいたおいらんが、にゅーっと立ち上がった姿は、赤い唐縮緬の長襦袢に浅黄の唐縮緬のしごきをしめた坊主頭で、まるでほうずきの化け物だ。
隠居の姿が見えないので障子を開けて廊下に出た拍子にすべって転んで柱に頭をぶつける始末。
おいらん 「おお痛い」と、頭をすーっと撫でて、「あら、いやだ。お客さんはまだここにいまさあね」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 楽隠居(らくいんきょ) – 商売や家業を息子に譲り、悠々自適に暮らす隠居。経済的にも余裕があり、遊びを楽しめる身分。
- 大門(おおもん) – 吉原遊郭の正門。ここをくぐれば別世界、遊郭への唯一の出入り口。
- 登楼(とうろう) – 遊郭の妓楼に上がること。単に「あがる」とも言う。
- 花魁(おいらん) – 位の高い遊女の呼称。教養も美貌も兼ね備えた遊郭の花形。
- 籬(ませがき)・溝萩(みぞはぎ) – 遊女の源氏名。植物や自然にちなんだ雅な名前が多い。
- 日ともし頃 – 夕暮れ時、灯火をともす頃。現在の午後6時頃。
- 見世(みせ) – 遊女屋、妓楼のこと。格式により大見世、中見世、小見世がある。
- お引け – 遊郭での遊びを終えて帰ること。または営業終了時刻。
- 若い衆(わかいし) – 遊郭で客の世話をする男性従業員。客引きから見送りまで担当。
- 唐縮緬(からちりめん) – 高級な絹織物。遊女の衣装によく使われた贅沢品。
よくある質問(FAQ)
Q: 吉原遊郭はいつ頃まで存在したのですか?
A: 吉原は江戸時代初期(1617年)に開設され、昭和33年(1958年)の売春防止法施行まで約340年間存在しました。この噺は江戸後期から明治初期の様子を描いています。
Q: 隠居はなぜ剃刀を持っていたのですか?
A: 物語の冒頭で床屋の親方に頼んでいた剃刀を受け取りに行き、そのまま吉原に向かったためです。当時の剃刀は高級品で、注文製作することが多かったようです。
Q: おいらんの髪を剃るのは実際に可能だったのですか?
A: 江戸時代の女性の髪型は複雑で、多くの鬢付け油で固めていました。実際に剃るのは困難ですが、落語では誇張して描かれています。
Q: 「お客さんはまだここにいます」というオチの意味は?
A: おいらんが自分の坊主頭を撫でて、隠居の坊主頭だと勘違いしたという笑いです。酔っていたため、自分の頭が剃られたことに気づかないという設定です。
Q: この噺は現代でも演じられていますか?
A: はい、古典落語の定番として演じられていますが、吉原の描写や髪を剃る場面など、現代的にアレンジされることもあります。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 廓噺の名手として知られ、隠居の悪戯心を絶妙に表現。酔ったおいらんの描写が秀逸。
- 三遊亭圓生(六代目) – 端正な語り口で、吉原の雰囲気を品よく再現。隠居の心理描写が巧み。
- 立川談志(五代目) – 独特の解釈で、隠居の復讐心の心理を深く掘り下げた演出が話題に。
- 柳家小さん(五代目) – 人間国宝。飄々とした語り口で、隠居の悪戯を軽妙に演じた。
- 三遊亭金馬(三代目) – テンポよく、床屋の親方との掛け合いから吉原での騒動まで軽快に演じる。
関連する落語演目
同じく「吉原・廓」が舞台の古典落語
隠居が主人公の古典落語
悪戯・仕返しがテーマの古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「坊主の遊び」は、一見すると単なる悪戯話のようですが、実は人間の感情の機微を巧みに描いた心理劇でもあります。
楽隠居という、本来は穏やかに余生を送るべき立場の人物が、些細なきっかけから復讐心に燃え、とんでもない悪戯をしてしまうという展開は、年齢や立場に関係なく人間が持つ感情の生々しさを表現しています。現代でいえば、SNSでの仕返しや、ちょっとしたいたずらが大事になってしまう事例を思い起こさせます。
また、床屋の親方の酒癖の悪さと、隠居の悪戯の悪質さを比較すると、実は隠居の方がより悪質な行為をしているという皮肉な構造も見逃せません。これは「被害者が加害者になる」という普遍的なテーマを含んでいます。
最後のオチ「お客さんはまだここにいます」は、単純な勘違いの笑いだけでなく、隠居の悪戯が思わぬ形で発覚する可能性を示唆しています。現代でいえば、防犯カメラやSNSで簡単に悪事が露見する時代への警鐘とも読めるでしょう。
実際の高座では、隠居が段階的にエスカレートして髪を剃る場面の心理描写や、最後のおいらんの仕草など、演者の技量が問われる場面が多く、それぞれの個性が光る演目となっています。







