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【古典落語】甘井羊羹・綿医者 あらすじ・オチ・解説 | 偽医者の荒療治が招く大災難

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話芸の殿堂-古典落語-甘井羊羹・綿医者
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甘井羊羹・綿医者

甘井羊羹・綿医者(あまいようかん・わたいしゃ) は、偽医者が患者の内臓を取り出して綿を詰めるという荒唐無稽な治療を行う上方落語の傑作です。「胸(棟)が焼けた」というオチが秀逸です。

項目内容
演目名甘井羊羹・綿医者(あまいようかん・わたいしゃ)
ジャンル古典落語・上方落語
主人公甘井羊羹(田舎から出てきた偽医者)
舞台大坂の町
オチ「胸(棟)が焼けた」
見どころ甘い物づくしの家族紹介と言葉遊び、綿を詰められた患者が煙草を吸って火柱が立つ衝撃の展開

3行でわかるあらすじ

田舎から大坂に出てきた偽医者の甘井羊羹が、腹痛の患者喜六に荒療治を施す。
内臓を全部取り出して代わりに綿を詰め込み、患者は軽くなったと喜ぶ。
酒を飲んで煙草を吸った喜六の胸から火が出て、「胸(棟)が焼けた」と大騒ぎになる。

10行でわかるあらすじとオチ

田舎から大坂に出てきた医者の山井羊仙は、甘い物が大好きなので甘井羊羹と名前を変える。
隣町の医者が挨拶に来た時、家族を紹介し、妻のさと(砂糖)、息子の甘蔵、娘のお蜜を披露する。
娘は尼(甘)になって尼崎の尼寺で庵持ち(あんもち・餡持ち)をしていると甘い物づくしの言葉遊びを披露。
町内の喜六が胸のむかつきと腹痛で苦しんで飛び込んできて、羊羹先生に診てもらう。
羊羹は「五臓六腑が滅茶苦茶になっている」と診断し、一度内臓を全部取り出して治すと宣言。
薬を飲ませて内臓を吐かせ、その代わりに綿を詰め込むという荒療治を行う。
喜六は腹が軽くなって痛みも止まったと大喜びし、酒や飯を食べてもいいかと尋ねる。
羊羹は「酒は綿にしみて、飯は綿の上に溜まるだけ」だから構わないと答える。
喜六は清八を誘って居酒屋で飲み食いし、腹ごなしに煙草に火をつけてゆっくり吸い込む。
煙を吐き出すと火柱が立ち上がり、清八が「火事だ!」と叫ぶと、喜六が「胸(棟)が焼けた」と答える。

解説

「甘井羊羹・綿医者」は上方落語の古典作品で、医者をテーマにした噺の中でも特に荒唐無稽な設定が特徴的です。偽医者による医療パロディと、甘い物尽くしの言葉遊びが巧みに組み合わされた傑作です。

この噺の面白さは、まず冒頭の家族紹介から始まる言葉遊びにあります。甘井羊羹という医者の名前に合わせて、妻は「さと(砂糖)」、息子は「甘蔵」、娘は「お蜜」と、すべて甘い物に関連した名前で統一されています。特に娘が「尼(甘)になって尼崎で庵持ち(あんもち・餡持ち)」という部分は、音の響きを活かした見事な言葉遊びです。

中盤の荒療治の場面では、現実離れした医療行為が描かれます。内臓を全部取り出して綿を詰めるという発想は、現代の医学常識からは考えられませんが、落語の世界では患者が軽くなって喜ぶという設定になっており、聞き手の常識を覆す面白さがあります。

最大の見どころは最後のオチです。綿を詰められた喜六が煙草を吸うと火柱が立ち上がり、「火事だ!」という叫びに対して「胸(棟)が焼けた」と答える部分は、「胸が焼ける」(心配や嫉妬で苦しむ)と「棟が焼ける」(建物の屋根が燃える)のダブルミーニングを利用した秀逸な言葉遊びです。

この噺は江戸時代の庶民の医療に対する不信や、当時の医者の中には怪しげな治療を行う者もいたことを反映している可能性もあります。また、落語特有の非現実的な設定を通じて、人間の欲望や愚かさを描いた作品としても評価されています。

あらすじ

田舎から大坂に出て来た医者の山井羊仙、甘い物が大好きなので甘井羊羹と名前を変えた。
隣の町内の医者が挨拶にと訪ねて来たので家族を紹介する。

羊羹 「これが妻のさと(砂糖)で、こちらがせがれの甘蔵、娘のお蜜は尼(甘)にいたしました」

客人 「それで今はどちらに」

羊羹 「尼崎の尼寺におります」

客人 「では、まだご修業中で?」

羊羹 「いえ、あんもち(庵持ち、餡持ち)です」、話に花を咲かせていると町内の長屋の喜六が青い顔して飛び込んで来た。

喜六 「胸がむかついて、腹も痛くて我慢でけへんので・・・」、羊羹先生、喜六の腹をつまんだり、押したりしていたが、

羊羹 「なんでこんなになるまで放っておいたんや。五臓六腑が滅茶苦茶になっとるがな」

喜六 「先生、なんとかしておくれ・・・」、今にも泣き出しそうだ。

羊羹 「このままでは治すことができん。一ぺんはらわたを全部取り出してからゆっくりと治そう」、荒療治が得意な?先生、喜六に薬を飲ませて内臓を吐かせて、その代わりに綿を詰めた。
すると不思議、

喜六 「お腹ん中、軽うなって痛みも止まりましたがな」

羊羹 「そうだろ、この汚いはらわた全部治しておくから明日また来なさい」

喜六 「酒飲んで、飯食うてもかまわんでっしゃろか?」

羊羹 「かまへん、かまへん、酒は綿にしみて、飯は綿の上に溜まるだけや。どうせ明日全部出してしまうよって」

喜んだ喜六は、「ありがとさん」と礼を言って長屋に戻り、清八を誘って居酒屋へ行ってたらふく飲んで食って大満腹で大満足。
腹ごなしにと煙草に火をつけてゆっくりと大きく吸い込んだ。

煙を吐き出すとボォ~ッと火柱が立ち上った。
向いに座っていた清八、びっくりして、「火事だ!火事だ!」、店の中にいた連中もこの声にびっくりして、「火事!、どこが火事だ!」

喜六 「胸(棟)が焼けた」


落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • 五臓六腑(ごぞうろっぷ) – 中国医学の概念で、五臓(心・肝・脾・肺・腎)と六腑(胆・胃・小腸・大腸・膀胱・三焦)の総称。内臓全般を指す言葉として使われています。
  • 庵持ち(あんもち) – 本来は寺院で独立した庵を持つ住職を指す言葉。この噺では「餡持ち」と掛けて、甘い物づくしの言葉遊びに使われています。
  • 尼崎(あまがさき) – 現在の兵庫県尼崎市。大坂から近い土地で、実際に多くの寺院がありました。「尼(あま)」と「甘(あま)」を掛けた地口になっています。
  • はらわた – 内臓の俗称。腸(わた)を中心とした内臓全般を指す言葉として使われています。
  • 棟(むね) – 建物の屋根の頂上部分。火事の際に「棟が焼ける」は建物が全焼することを意味します。

よくある質問(FAQ)

Q: 甘井羊羹は実在の医者ですか?
A: いいえ、落語の創作キャラクターです。江戸時代には実際に怪しい医者も存在しましたが、この噺は完全な創作で、現実離れした荒療治を通じて笑いを生み出しています。

Q: 綿を体内に詰めるという発想はどこから来たのでしょうか?
A: 江戸時代の民間療法や、綿が軽くて柔らかいという性質から着想を得たと考えられます。また、綿は火がつきやすいという性質も、最後のオチに繋がる重要な伏線となっています。

Q: 「胸が焼ける」と「棟が焼ける」の掛け言葉について教えてください
A: 「胸が焼ける」は嫉妬や心配で心が苦しむことを表す慣用句です。一方「棟が焼ける」は建物の屋根が燃えることを意味します。喜六の胸から火が出たという状況で、この二つの意味を掛けた秀逸な言葉遊びになっています。

Q: この噺は江戸落語でも演じられていますか?
A: 「甘井羊羹・綿医者」は主に上方落語の演目です。江戸落語では演じられることは少なく、上方の言葉遊びと大阪の町人文化が色濃く反映された噺として知られています。

Q: 現代でも高座にかけられていますか?
A: はい、現在も上方落語の定席で演じられています。特に天満天神繁昌亭などで聴くことができます。荒唐無稽な設定と言葉遊びの妙が現代の観客にも受け入れられています。

名演者による口演

この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。

  • 桂米朝(三代目) – 上方落語四天王の一人。医者噺の名手として知られ、この噺でも品のある語り口で荒唐無稽な内容を巧みに演じました。
  • 桂春団治(三代目) – 爆笑王と呼ばれた名人。派手な演出と豪快な語り口で、この噺の荒療治場面を迫力満点に演じました。
  • 桂文珍 – 現代の上方落語を代表する一人。軽妙な語り口と巧みな言葉遊びで、若い世代にもこの噺の面白さを伝えています。
  • 桂南光(三代目) – べかこの愛称で親しまれ、独特のリズムとテンポでこの噺を現代的にアレンジして演じています。

関連する落語演目

同じく医者をテーマにした古典落語

言葉遊びが秀逸な上方落語

荒唐無稽な設定の古典落語

この噺の魅力と現代への示唆

「甘井羊羹・綿医者」は、現代医療が確立していなかった時代の、医者に対する庶民の不信感や恐れを笑い飛ばした作品です。しかし同時に、患者の喜六が「軽くなった」と喜ぶ場面には、プラシーボ効果のような心理的な治療効果も描かれており、医療における心理的側面の重要性を示唆しているとも言えます。

また、甘い物づくしの家族構成や、最後の「胸(棟)が焼けた」というオチまで、全編を通じて言葉遊びが散りばめられています。これは上方落語の特徴である「地口」の文化を見事に体現しており、日本語の音の響きの豊かさを楽しむ芸能としての落語の魅力を存分に味わえる作品です。

実際の高座では、羊羹先生の怪しげな診察の仕草や、喜六が煙草を吸って火柱が立つ場面の演技が見どころです。演者によって医者の胡散臭さの表現や、喜六の慌てぶりが異なり、それぞれの個性を楽しむことができます。

現代でも、医療情報の氾濫や健康法の流行など、この噺が描いたテーマは形を変えて存在しています。正しい医療知識を持つことの重要性と、それでも時には笑い飛ばす余裕を持つことの大切さを、この噺は教えてくれるのではないでしょうか。


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