芝浦ビットコイン
今回お届けするのは、落語界で最も愛されている人情噺の一つ「芝浜」の現代版です。
原作は、酒浸りの魚屋が芝浜で大金の入った財布を拾い、届けた後に改心するという感動的な物語。
これを現代の仮想通貨ブームに置き換えて、「芝浦ビットコイン」として再構築してみました。
舞台は令和の東京、主人公は漁師ではなく港湾作業員、そして拾うのは財布ではなくスマートフォン。
でも、夫婦の愛情と人間の成長という本質は、きっと変わらないはずです。
埋立地の作業員
東京湾に面した芝浦の埋立地。
巨大なクレーンが林立する港湾地区で、コンテナの積み下ろし作業をしている男がいました。
名前は鈴木一郎、35歳。体格はがっしりしていますが、どこか疲れた表情を浮かべています。
一郎「今日も暑いなあ…」
額の汗を拭いながら、重いコンテナを台車に載せていきます。この仕事を始めて10年になりますが、給料は決して高くありません。
同僚「一郎、今日も残業だぞ」
一郎「マジかよ…」
実は一郎には、大きな問題がありました。
パチンコ依存症です。
仕事が終わると、まっすぐ家に帰らず、駅前のパチンコ店「マルハン芝浦店」に直行。給料の大半をパチンコに注ぎ込んでしまいます。
苦労する妻
一郎の妻、美香は33歳。コンビニで夜勤のパートをして家計を支えています。
夫がパチンコにハマっているせいで、家計は火の車。家賃の支払いにも事欠く有様です。
美香「またパチンコ行ったんでしょ?」
一郎「いや、今日は行ってない」
美香「嘘つかないでよ。お財布空っぽじゃない」
一郎「…すまん」
美香は諦めたような顔でため息をつきます。
美香「もう…どうして分からないの?」
こんなやり取りが、毎日のように続いていました。
運命の朝
ある日の早朝、一郎は珍しく早起きをしました。
一郎「今日は頑張って残業代稼ぐぞ」
いつもより1時間早く家を出て、芝浦の埋立地へ向かいます。朝5時、まだ薄暗い時間です。
歩いていると、足元に光るものが落ちているのに気づきました。
一郎「ん?何だこれ」
拾い上げてみると、最新のiPhone Pro Max。画面にはヒビが入っていますが、まだ電源は入りそうです。
一郎「誰か落としたのかな」
とりあえずポケットに入れて、仕事場に向かいました。
スマートフォンの謎
昼休み、一郎は同僚と一緒にそのスマートフォンを調べてみました。
同僚「おお、これは高級機種だな」
一郎「でも、画面割れてるし…」
同僚「いや、中身の方が重要だ。見てみろよ」
画面をタップすると、ロックはかかっていませんでした。そして、ホーム画面に見慣れないアプリのアイコンが。
同僚「これ、仮想通貨のウォレットアプリじゃないか?」
一郎「仮想通貨?」
同僚「ビットコインとか、イーサリアムとか」
アプリを開いてみると…
驚愕の発見
画面に表示されたのは、信じられない数字でした。
「ビットコイン残高:50 BTC」
同僚「50ビットコイン!?」
一郎「それって、どのくらいの価値なんだ?」
同僚が電卓で計算します。
同僚「今のレートで…約2億円だ!」
一郎「2億円!?」
あまりの金額に、一郎は腰を抜かしそうになりました。
一郎「こ、これって…」
同僚「間違いない。大金持ちのスマホだ」
一郎の頭は混乱していました。2億円あれば、借金を全部返して、マンションも買えて、美香にも楽をさせてあげられる…
誘惑との戦い
同僚「一郎、これをネコババしちゃえよ」
一郎「え?」
同僚「このウォレットから、自分の口座に送金しちゃえばいいんだよ」
一郎「でも…」
同僚「誰にもバレないって。仮想通貨は匿名だから」
確かに、その気になればできるかもしれません。しかし、一郎の心の奥で、何かが引っかかっていました。
一郎「…考えさせてくれ」
家に帰って
その日、一郎は珍しく定時で仕事を終えて帰宅しました。
美香「あら、今日は早いのね」
一郎「ああ…美香、ちょっと相談があるんだ」
一郎は、スマートフォンの件を美香に話しました。ただし、中身については「お金が入ってるらしい」程度に留めて。
美香「それは…警察に届けなきゃダメよ」
一郎「でも、俺たちも困ってるじゃないか」
美香「だからといって、人のものを盗んじゃダメ」
美香の言葉に、一郎は黙り込みました。
葛藤の夜
その夜、一郎は眠れませんでした。
2億円…その金額が頭から離れません。
でも、美香の言葉も心に刺さっていました。
一郎「どうすればいいんだ…」
翌朝、一郎は決断しました。
交番へ
一郎「すみません、これを届けに来ました」
芝浦交番の警察官は、スマートフォンを受け取りました。
警察官「いつ、どこで拾われました?」
一郎「昨日の朝、埋立地の道端で」
警察官「ご苦労様でした。落とし主が見つかったらご連絡します」
一郎「あの…中身は調べなくていいんですか?」
警察官「必要があれば調べますが、基本的には落とし主に返すだけです」
一郎は、ほっとしたような、残念なような、複雑な気持ちで交番を後にしました。
美香の反応
家に帰ると、美香が笑顔で迎えてくれました。
美香「お疲れ様。ちゃんと届けたのね」
一郎「ああ…」
美香「えらいじゃない。私も鼻が高いわ」
一郎「でも…あれには凄い金額が入ってたんだ」
美香「え?」
一郎「2億円分のビットコイン」
美香の顔が青ざめました。
美香「2億円…?」
一郎「俺たちの借金なんて、楽に返せる金額だった」
美香は、しばらく黙っていました。
美香の決断
美香「…あなた」
一郎「ん?」
美香「それって、夢じゃない?」
一郎「え?」
美香「だって、考えてみてよ。2億円なんて大金が入ったスマートフォンが、そんな簡単に落ちてるわけないじゃない」
一郎「でも、俺は確かに…」
美香「きっと夢よ。最近疲れてたから、変な夢を見たのよ」
一郎「夢って…」
美香「そうよ、夢。だから気にしなくていいの」
美香の表情は真剣でした。
理解
一郎は、美香の意図を理解しました。
妻は知っているのです。もし2億円が本当だったら、自分がどれだけ後悔するか。毎日「あの時、ネコババしておけば」と思い続けることを。
だから、「夢だった」ことにしてくれているのです。
一郎「…そうか、夢だったんだな」
美香「そうよ、夢」
二人は微笑み合いました。
変化の始まり
それから数ヶ月、一郎に変化が現れました。
仕事が終わっても、パチンコ店に寄らず、まっすぐ家に帰るようになったのです。
同僚「一郎、最近パチンコやってないのか?」
一郎「ああ、やめたんだ」
同僚「なんで?」
一郎「美香のためだよ」
家族の時間
一郎が早く帰るようになって、夫婦の時間が増えました。
一緒に夕食を取り、テレビを見て、他愛のない話をする。そんな普通の日常が、一郎には何より幸せに感じられました。
美香「あなた、最近明るくなったわね」
一郎「そうか?」
美香「前は、いつも何か考え込んでたけど」
一郎「…美香」
美香「何?」
一郎「ありがとう」
1年後
一郎がパチンコをやめてから1年が経ちました。
家計は劇的に改善し、借金もかなり減りました。美香も夜勤を減らして、昼間のパートに変えることができました。
ある日、一郎が仕事から帰ると、美香が嬉しそうに迎えてくれました。
美香「お帰りなさい!今日はいいことがあったの」
一郎「何?」
美香「警察から連絡があったのよ」
一郎「警察?」
美香「あの時のスマートフォンの件」
意外な展開
美香「落とし主が見つかったんですって」
一郎「そうか…」
美香「それで、お礼をしたいって」
一郎「いや、お礼なんて…」
その時、インターホンが鳴りました。
ピンポーン。
美香が出ると、50代くらいの上品な男性が立っていました。
男性「鈴木さんでいらっしゃいますか?私、田所と申します」
一郎「はあ…」
田所「先日は、私のスマートフォンを届けていただき、ありがとうございました」
落とし主
田所さんは、IT関連の会社を経営している社長でした。
田所「実は、あのスマートフォンには大切なものが入っていまして…」
一郎「大切なもの?」
田所「仮想通貨です。会社の資産として保有していた、約2億円分のビットコイン」
美香「2億円…」
田所「もし盗まれていたら、会社が倒産するところでした」
一郎は、美香と顔を見合わせました。やはり夢ではなかったのです。
田所「本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます」
真のお礼
田所「ささやかですが、心ばかりの品を」
田所さんが差し出したのは、封筒でした。
一郎「いえ、お礼なんて…」
田所「いえいえ、受け取ってください」
中を見ると、100万円の現金が入っていました。
美香「こんな大金…」
田所「2億円から見れば、本当にささやかな金額です」
一郎「でも…」
田所「実は、私も若い頃はギャンブルに溺れていました」
一郎「え?」
田所「でも、妻の支えで立ち直ることができた。あなた方を見ていると、昔の自分たちを思い出します」
エピローグ
田所さんが帰った後、一郎と美香は黙って座っていました。
美香「100万円…」
一郎「すげえ金額だな…」
美香「これで、借金が全部返せるわね」
一郎「ああ…」
しばらく沈黙の後、一郎が口を開きました。
一郎「美香」
美香「何?」
一郎「あの時、俺がもしネコババしてたら…」
美香「何?」
一郎「今頃、俺は人間のクズになってたな」
美香は微笑みました。
美香「でも、あなたはしなかった」
一郎「お前が止めてくれたからだ」
美香「あなたが正しい選択をしたのよ」
オチ
数年後、一郎と美香は小さな一軒家を購入しました。田所さんのお礼金と、一郎の頑張りで貯めたお金を頭金にして。
家の近くを散歩していると、一郎がふと言いました。
一郎「あの時のこと、今でも時々思い出すよ」
美香「2億円のこと?」
一郎「ああ。でも、後悔はしてない」
美香「どうして?」
一郎「だって、あの時お前が『夢だった』って言ってくれたおかげで、俺は変われたんだ」
美香「…」
一郎「もし2億円を手に入れてたら、きっと俺はダメになってた。金に溺れて、お前を大切にすることを忘れてしまったかもしれない」
美香「あなた…」
一郎「だから、お前の判断は正しかった。夢で良かったんだ」
二人は、夕日に向かって歩いていきました。
そんな一郎の心に、ふと疑問が湧きました。
一郎「そういえば、美香」
美香「何?」
一郎「あの時、お前は本当に『夢だった』と思ったのか?」
美香は振り返ると、いたずらっぽく微笑みました。
美香「さあ、どうかしら。それも夢だったかもね」
まとめ
「芝浜」の現代版、いかがでしたでしょうか。
財布の代わりにスマートフォン、大金の代わりに仮想通貨という設定で、現代的にアレンジしてみました。
でも、夫婦の愛情と人間の成長という核心は、時代が変わっても普遍的なものですね。
美香の「夢だった」という機転も、原作の女房の知恵をそのまま活かしました。現実でも、ちょっとした出来事をきっかけに人生が変わることってありますよね。
この一郎のように、大切なものを見つめ直すきっかけになれば、それも案外悪くないのかもしれません。
私も最近、スマホを拾ったことがあるのですが、普通に交番に届けました。
中身は確認しませんでしたが、きっと2億円は入ってなかったでしょう…たぶん。


