ずっこけ
3行でわかるあらすじ
居酒屋でべろべろに酔った熊さんを兄貴分が家まで送り届けようとするが、途中で服だけ残して熊さんが消失してしまう。
探しに戻ると裸でふんどし一丁の熊さんが「兄貴は追いはぎだったとは知らなかった」とわめいている。
やっと家に連れ帰ると、女房のお光が「よく人に拾われなかったこと」と呟くオチで締める酔っ払い騒動。
10行でわかるあらすじとオチ
居酒屋でべろべろに酔った熊さんが、小僧から看板だから帰ってくれと言われても「もう一本だけ」を繰り返して帰ろうとしない。
ついには都々逸まで歌い出し、店の外に見物人が集まる騒ぎになってしまう。
そこへ熊さんの兄貴分が現れて勘定を払い、やっと店から連れ出すことに成功する。
しかし熊さんは「もう一軒寄ろう」としつこく、一人では歩けないほどべろべろに酔っている。
兄貴分は途中で立小便の世話まで焼きながら、どてらの襟首を引きずるようにして熊さんの家へと向かう。
やっと家に着いて女房のお光に引き渡そうとしたところ、どてらだけで中身の熊さんがいないことに気づく。
慌てて来た道を探しに戻ると、道の真ん中で人だかりがして、中でふんどし一丁の裸の男がわめいている。
それは熊さんで「兄貴は追いはぎだったとは知らなかった」と大声で叫んでいる始末。
兄貴分は熊さんを引きずるようにして今度こそ本物の熊さんを女房のお光に引き渡す。
お光は「まあ、なんだねぇ、素っ裸で…それでもまあ、よく人に拾われなかったこと」と呟くオチで幕。
解説
ずっこけは、酒飲み噺の代表的な作品として親しまれている古典落語である。
物語の核心は、べろべろに酔った熊さんが途中で服だけ残して消失するという物理的なギャグの面白さにある。
兄貴分の人情深さと、酔っ払いの世話を焼く苦労が丁寧に描かれ、観客の共感を誘う構成となっている。
熊さんが「兄貴は追いはぎだった」と勘違いする展開は、酔っ払いの混乱した思考を表現した秀逸な設定である。
最後の女房お光の「よく人に拾われなかったこと」というオチは、呆れながらも夫を受け入れる妻の心情を表した絶妙な締めくくりとなっている。
この作品は江戸時代の酒場文化や夫婦関係、そして近所付き合いの人情を背景に、酔っ払いの滑稽な行動を通じて庶民の日常を描いた名作である。
あらすじ
居酒屋で長々と飲み続け、店の小僧からもう看板だから勘定して帰ってくれと言われても、もう一本だけ、もう一本きりと小僧をからかいながら一向に帰ろうとしないべれべれに酔った熊さん。
ついには大声で都々逸まで歌い出す始末だ。
店の外には面白がって見物人が集まりだした。
小僧は見せ物(もん)じゃないと追っ払っていると、その中から熊さんの兄貴分が、「おい、熊公、こんなに酔っちまって、もう帰るぞ」と店に入って来た。
渡りに船と、風呂上りで金を持っていない熊さんは兄貴分に勘定を払わせ、やっと店を出た。
べろべろに酔って一人では歩けない熊さんだが、もう一軒、もう一軒寄ろうとしつこい。
兄貴分は抱きかかえて行くが、途中でずっこけて地面で寝てしまうし、立小便も一人でできずに手伝ったりするやっかい者だ。
もうどてらの襟首を引きずるようにしてやっと熊さんの家にたどり着いた。
女房のお光に引き渡そうとしたら、どてらだけで中身の熊さんがいない。
途中からやけに軽くなったと思ったら、熊さんをどこかで落としてしまったようだ。
来た道を熊さんを探しに戻ると、道の真ん中で人だかりがして、中でふんどし一丁の裸の男が、「兄貴は追いはぎだったとは知らなかった」と、わめいている。
熊さんを引きずるようにしてやっと家に着いて、今度こそ本物の熊さんを女房のお光に引き渡した。
お光 「まあ、なんだねぇ、素っ裸で・・・それでもまあ、よく人に拾われなかったこと・・・」
落語用語解説
看板(かんばん)
店じまいの時間のこと。「看板だ」「看板にする」で閉店を意味する。この噺では居酒屋の小僧が帰ってほしい熊さんに「看板だから」と告げている。
どてら
綿入りの防寒着。冬場に室内で着用する厚手の着物で、この噺では熊さんがどてらを着ており、兄貴分が襟首を引きずって連れ帰る。
兄貴分(あにきぶん)
年上で面倒見の良い先輩格の人物。江戸の長屋社会では親分子分、兄貴弟分の関係が重要だった。
都々逸(どどいつ)
七・七・七・五の音数で作られる俗謡。酒の席で歌われることが多く、熊さんが酔って大声で歌い出す場面で登場する。
ふんどし
男性用の下着。この噺では熊さんが服を脱がされて下着一丁になる場面で登場し、「裸でふんどし一丁」という表現が使われる。
追いはぎ
旅人などを襲って金品や衣服を奪う盗賊。熊さんが酔った勘違いで兄貴分を追いはぎと呼ぶ場面がこの噺の見せ場となっている。
よくある質問(FAQ)
Q: オチの「よく人に拾われなかった」とはどういう意味ですか?
A: 酔っ払って裸同然で道に転がっていた熊さんを、他の人に拾われて(連れ去られて)いなかったことを女房が皮肉交じりに言っています。「落とし物」のように夫を扱った表現で、呆れながらも無事を喜ぶ複雑な心境を表しています。
Q: なぜ熊さんは服だけ残して消えたのですか?
A: 兄貴分がどてらの襟首を引きずって連れ帰っている途中で、熊さんの体が服からスッポリ抜け落ちてしまったのです。泥酔して全身の力が抜けていたため、引っ張られる力で服だけが進んで中身が落ちたという滑稽な設定です。
Q: 熊さんはなぜ兄貴分を追いはぎだと思ったのですか?
A: 目が覚めたら裸同然で道に転がっており、服を持っていかれていたため、酔った頭で「兄貴が追いはぎとして自分の服を奪った」と勘違いしました。実際は自分が服から抜け落ちただけなのですが、酔っ払いの思考回路を表現した面白い展開です。
Q: この噺のタイトル「ずっこけ」の意味は?
A: 「ずっこける」は転ぶ、滑る、ずり落ちるという意味。この噺では熊さんが服から抜け落ちる様子や、道で転がっている様子を指しています。
Q: 江戸時代の居酒屋はどのような場所でしたか?
A: 江戸時代の居酒屋(煮売り酒屋)は庶民の社交場で、安い肴と酒を提供していました。長居する客も多く、小僧が「看板だから」と帰宅を促す場面はよく見られた光景でした。
名演者による口演
五代目 古今亭志ん生
酔っ払いの熊さんの千鳥足と、兄貴分の苦労を表情豊かに演じ、最後のオチまで笑いの絶えない名演で知られる。
三代目 三遊亭金馬
熊さんの都々逸を歌う場面を軽妙に演じ、酔っ払いの滑稽さを愛嬌たっぷりに表現した。
五代目 柳家小さん
兄貴分の人情深さと、女房お光の呆れた様子の対比を丁寧に描き、庶民の夫婦関係を温かみをもって演じた。
関連する演目
同じく「酔っ払い」がテーマの古典落語


同じく「夫婦」がテーマの古典落語


同じく「居酒屋」が舞台の古典落語


この噺の魅力と現代への示唆
「ずっこけ」の魅力は、酔っ払いの滑稽な行動を通じて、江戸庶民の人情と夫婦関係を描いている点にあります。兄貴分が嫌な顔一つせず熊さんの世話を焼く姿は、現代でも飲み会後に酔った友人を介抱する場面に通じるものがあるでしょう。
熊さんが服から抜け落ちて「兄貴は追いはぎだった」と勘違いする場面は、酔った頭の混乱した思考を見事に表現しています。誰しも酔って記憶をなくしたり、翌朝「なぜこうなった?」と困惑した経験があるのではないでしょうか。
最後の女房お光の「よく人に拾われなかったこと」というオチは、呆れながらも夫を迎え入れる妻の複雑な心境を表した絶妙な締めくくりです。実際の高座では、演者によって熊さんの酔態や女房の呆れた表情の演じ方が異なり、それぞれの個性が光る噺でもあります。落語会でこの噺がかかった際には、酔っ払いの演技と夫婦のやり取りに注目してみてください。


