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【古典落語】西行 あらすじ・オチ・解説 | 失恋で出家した歌人が「阿漕」の意味を理解するまでの壮大な人生修行

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話芸の殿堂-古典落語-西行
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西行

3行でわかるあらすじ

佐藤憲清が染殿の内侍との別れ際に言われた「阿漕」の意味が分からず失恋し出家。
西行と名を改め歌修行の旅に出て、和歌三神との出会いや百人一首採用など経験。
最後に馬方から「阿漕」は「二度目、しつこい」の意味と教えられてやっと理解するオチ。

10行でわかるあらすじとオチ

北面の武士・佐藤憲清が染殿の内侍を歌で助けたことから恋に落ちる。
身分違いの恋だが、内侍から密会の隠し文が届き、阿弥陀堂で逢瀬を楽しむ。
別れ際に「また会いたい」と言うと、内侍は「阿漕であろう」と言って去る。
「阿漕」の意味(度重なること)が分からず、失恋と思い込んで出家し西行となる。
歌修行の旅で糞を背負った亀と歌の掛け合いをする滑稽な場面も。
鼓ヶ滝で和歌三神に出会い、歌を添削されて己の未熟さを知る。
百人一首に歌を入れてもらおうとするが、四人合作だと却下される。
自殺を思いとどまり「嘆けとて月やは物を思わする」の歌で百人一首に採用。
伊勢で馬方が馬を「阿漕」と叱るのを聞き、その意味を尋ねる。
「さっき豆を食べたのにまた欲しがる」と聞いて「二度目を阿漕と言うのか」とやっと理解。

解説

「西行」は平安時代の歌人・西行法師を題材にした古典落語で、出家の理由を恋愛の失敗と教養不足に求めたユーモラスな作品です。
実際の西行(佐藤義清)は1118年生まれ、染殿の内侍は9世紀の人物、南禅寺は13世紀創建と時代的な矛盾がありますが、落語では歴史的正確性よりも物語の面白さを重視しています。

物語の核心となる「阿漕」は、伊勢国(現在の三重県津市)の阿漕ヶ浦のことで、伊勢神宮に供える魚を獲る禁漁区でした。
「伊勢の海阿漕が浦に引く網もたび重なれば現れにけり」という古歌があり、禁じられた漁を繰り返すうちに露見したという故事から、「度重なること」「しつこいこと」を意味します。
染殿の内侍はこの歌を踏まえて、二度目の逢瀬は危険だと暗に伝えたのですが、憲清(西行)は理解できませんでした。

その後の旅の場面では、鼓ヶ滝での和歌三神との出会いや、糞を背負った亀との掛け合いなど、落語らしい滑稽な要素が盛り込まれています。
最終的に馬方から「阿漕」の俗語的な意味(しつこい、欲深い)を聞いて、やっと理解するというオチは、高尚な文学的教養と俗世間の言葉の違いを皮肉った秀逸な締めくくりです。
この噺は、知識人の無知を笑いながらも、人間の愚かさと純粋さを温かく描いた名作といえます。

あらすじ

西行がまだ佐藤兵衛尉憲清という北面の武士であった時、染殿の内侍が南禅寺に参詣した折りに、菜の花畑に蝶が舞っているのを見て、萩大納言が「蝶(丁)なれば二つか四つも舞うべきを 一つ舞うとは これは半なり」と詠んで短冊を内侍に渡した。

萩大納言は以前に内侍に袖にされた男。
その遺恨をはらすべく大勢の目の前で内侍に恥をかかせようと言う魂胆だ。
内侍は丁半博打なんて知るはずもなく、赤い顔をしてうつむいていると、憲清が「一羽にて千鳥といへる名もあれば 一羽舞うとも 蝶は蝶なり」と返歌で助け舟を出した。
これがきっかけで、憲清は絶世の美女、染殿の内侍に恋患いだが、身分の違いをどうすることも出来ない。

染殿の内侍としても美男武者の憲清との火遊び、アバンチュールを楽しみたい。
ある時、憲清に「この世にては逢はず、あの世にても逢はず、三世過ぎて後、天に花咲き、地に実り、人間絶えし後、西方弥陀の浄土で我を待つべし、あなかしこ」という隠し文が届いた。

四日目の夜中に西にある阿弥陀堂で待っているようにというナゾだ。
憲清は嬉しくて夜も眠れず、当日は早くから阿弥陀堂へ行って染殿を待つが、うかつにも寝不足からか居眠りをしてしまった。

だいぶ遅れてやって来た内侍は鼻から提灯を出して眠りこけている憲清を見て、「われならば鶏(とり)鳴くまでも待つものを 思はねばこそ まどろみにけり」と、お冠で帰ろうとする。
憲清は袖をとらえて、「宵は待ち夜中は恨み暁の夢にや見んとしばしまどろむ」と返歌した。

染ちゃんの機嫌はすっかり直って、東の空が白むまで逢瀬を楽しんだ。
帰り際に憲清が染ちゃんの袖をつかんで、「またの逢瀬は」と問うと、「憲清、阿漕(あこぎ)であろう」と袖を振り払って帰ってしまった。

憲清には「伊勢の海 阿漕が浦に引く網も たび重なれば あらわれにけり」という歌を踏まえてある言葉だということが分からなかったのだ。
憲清は残念無念と、武門を捨て名を西行と改め歌修行に諸国を旅することになる。

西行が熱田の海辺の草むらで糞を垂れていると、糞がガサガサと這った。
驚いて、「西行も幾瀬の旅はしたなれど 糞の這うのはこれが見始め」と詠んだ。
見ると糞を背中の甲羅に乗っけた亀が這って行く。
亀は首を西行のほうに向けて、「眠いとて道端などで昼寝せば 駄賃取らずに臭い荷を負う」

摂津の鼓ヶ滝にやって来た西行、その落ちる様を、「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と詠んで、我ながらいい歌だと自我自賛でご満悦。

そこへ通り掛かった小さな女の子を連れた老夫婦がその歌を見せてくれという。
こんな山奥の山賊(やまがつ)のような爺さん婆さんに歌など分かるかと思ったが、歌を見せると、
爺さん 「鼓というのやから"伝え聞きより、音に聞く"とした方がええのやないか」、なるほどごもっとも、 びっくりしている西行に、
婆さん「鼓ヶ滝に"来て見れば"、やなしに、鼓の縁語で、"打ち見れば"とした方が揃うのやないか」で、西行は開いた口が塞がらず冷や汗がタタタラ。

最後のとどめは孫娘ような女ん子が、「お坊ちゃま、あたいも直してあげまひょ。沢辺を鼓の縁語で川(皮)辺とした方がええのと違(ちゃ)いますか」、西行は、へへぇ~と平伏するのみ。
ひょいと見ると三人の姿は消えていた。
和歌三神が自分のおごりを戒めて来られたのであろうと、さらに歌の修行に励むことになるであろうか?

西行は、"音に聞く鼓ヶ滝に打ち見れば 川辺に咲きし たんぽぽの花"、の歌の出来がいいので、百人一首に入れてもらおうと都に戻って定家卿に差し出すと、これは四人の合作の歌だから駄目よと、つれなく却下。

がっかりしてまた旅に出たに西行さん、なんとか伏見まで来たが自分に歌の才の無さに落胆し、世をはかなんで宇治川へ身を投げて死のうとすると、川面に十五夜の月が映っている。「嘆けとて月やは物を思わする かこち顔なるわか涙かな」、でけたでけたと、また都へ駆け戻っと定家卿に見せると、合格、入選でこの歌が百人一首に入った。
自殺なんてころっと忘れてまた旅の人となった。

ある日、馬方が「ご出家さん、馬に乗ってくだせい」と、寄って来た。
西行 「おお、少しくたびれたゆえ乗せてもらおうか」と、駄賃を決めて馬に乗ろうとすると、馬が駄々をこねているように嫌がっている。

馬方 「こら、われのような阿漕な馬っこはいねえぞ」

西行 「阿漕とは何じゃ?」

馬方 「さっきの宿場で豆食わせたばかりなのに、また豆食いたがってブーブー言いやがるから、阿漕と言ったんでさ」

西行 「ははあ、二度目の豆を阿漕と言うのか」


落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • 北面の武士(ほくめんのぶし) – 平安時代後期に院御所(上皇の御所)の警護を担当した武士の集団。御所の北側に詰所があったことから「北面」と呼ばれました。佐藤義清(西行)は実際に鳥羽上皇の北面の武士でした。
  • 染殿の内侍(そめどののないし) – 内侍は宮中に仕える女官の役職で、天皇や后に近侍する高位の女性。「染殿」は平安時代の后妃に関連する地名・役職名です。実在の染殿内侍は9世紀の人物で、西行とは時代が合いませんが、落語では物語の展開を優先しています。
  • 阿漕(あこぎ) – 元は伊勢国(現在の三重県津市)の阿漕ヶ浦という地名。伊勢神宮に供える魚を獲る禁漁区で、禁を破って何度も密漁すれば必ず露見するという故事から、「度重なること」「しつこいこと」「欲深いこと」を意味する言葉になりました。
  • 和歌三神(わかさんじん) – 和歌の神として信仰された住吉明神、玉津島明神、柿本人麻呂の三神。鼓ヶ滝での場面で、老夫婦と少女の姿で現れて西行の歌を添削します。
  • 百人一首(ひゃくにんいっしゅ) – 藤原定家が選んだとされる100人の歌人の和歌集。西行の「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな」も実際に収録されています(86番)。
  • 鼓ヶ滝(つつみがたき) – 大阪府箕面市にある滝。箕面大滝とも呼ばれ、落下する水音が鼓の音に似ていることから名付けられました。

よくある質問(FAQ)

Q: 西行は実在の人物ですか?
A: はい、西行法師(1118-1190)は実在した平安時代末期の歌人・僧侶です。本名は佐藤義清(のりきよ)で、北面の武士から23歳で出家しました。ただし、落語での出家の理由(恋愛の失敗)は創作で、実際の理由は諸説あり定かではありません。

Q: 「阿漕」の意味はなぜ分からなかったのですか?
A: 染殿の内侍は「伊勢の海 阿漕が浦に引く網も たび重なれば あらわれにけり」という古歌を踏まえた高尚な言い回しとして使いましたが、憲清(西行)は和歌の教養が不足していたため理解できなかった、という設定です。この教養の差が笑いと悲劇を生む仕掛けになっています。

Q: 鼓ヶ滝での和歌三神の添削は何を教えているのですか?
A: 西行が詠んだ「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば」を「音に聞く鼓ヶ滝に打ち見れば」、「沢辺」を「川辺(皮辺)」と添削することで、縁語(関連する言葉)を効果的に使う和歌の技法を教えています。「鼓」に対して「音に聞く」「打つ」「皮」という縁語を重ねることで、歌としての完成度が高まります。

Q: 百人一首に採用された「嘆けとて月やは物を思はする」は実際に西行の歌ですか?
A: はい、実際に西行の歌で、『千載和歌集』や『小倉百人一首』に収録されています。「月が私に物思いをさせるわけではないのに、涙が出てしまう」という意味で、自らの心の弱さを詠んだ名歌です。

名演者による口演

この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。

  • 桂米朝(三代目) – 人間国宝。格調高い語り口でこの長編人情噺を演じ、西行の純粋さと愚かさを繊細に表現しました。
  • 桂枝雀(二代目) – エネルギッシュな演技で知られ、糞の亀との掛け合いや和歌三神との場面を特に生き生きと描きました。
  • 桂文珍 – 現代的な解釈を加えながらも、古典の良さを残した演出で人気があります。
  • 桂吉朝(二代目) – 繊細な心理描写と美しい語り口で、西行の内面を丁寧に描き出しました。

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この噺の魅力と現代への示唆

「西行」は単なる笑い話ではなく、人生の機微を深く描いた名作です。

「阿漕」という一つの言葉の意味が分からなかったために、人生の方向性が大きく変わってしまう――これは現代でも十分にありうることではないでしょうか。コミュニケーションのすれ違い、言葉の解釈の違い、教養の差が生む悲劇と喜劇が、この噺には凝縮されています。

また、鼓ヶ滝での和歌三神との出会いは、驕りを戒め謙虚に学び続けることの大切さを教えてくれます。どんなに優れた人でも、常に学び続ける姿勢がなければ成長は止まってしまいます。

そして最後に、馬方という庶民から「阿漕」の俗語的な意味を教わることで、ようやく染殿の内侍の言葉の真意を理解する――高尚な文学的教養だけでなく、庶民の生きた言葉を知ることの重要性も示唆しています。

糞を背負った亀との掛け合いなどの滑稽な場面と、染殿の内侍との切ない恋の場面、和歌三神との出会いという神秘的な場面が見事に織り交ぜられた、長編ならではの構成美も魅力です。

実際の高座では、演者によって西行のキャラクターや和歌の詠み方が異なり、それぞれの解釈が楽しめます。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。

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