お盆
3行でわかるあらすじ
いんちき祈祷師の法印が狐憑き退治の依頼を受け、権助と共に詐欺を企む。
法印が偽の祈祷で狐を落としたと言い、権助に狐を出すよう指示する。
権助は「お盆を借りてくる」と言って、狐を皿に乗せて持参しようとする。
10行でわかるあらすじとオチ
目白でいんちき祈祷を生業とする法印と権助は、近頃客がなく生活に困っていた。
権助が王子稲荷で子狐を捕まえて狐汁にしようとするが、法印が「稲荷のお使い姫」だと諭して逃がす。
すると間もなく、白山の商家から娘の狐憑き退治の依頼が舞い込み、祈祷料は七両二分。
番頭は手付けに一両を置き、「お盆を拝借したい」と言うが、箱膳の蓋で代用する。
法印は権助に態度を一変させ、王子へ行って狐を捕まえてくるよう命じる。
法印は権助を連れて商家に向かい、大仰な仕草で偽の祈祷を始める。
頃合いを見計らって「狐が落ちた!」と叫び、権助にこっそり狐を渡して出すよう指示。
しかし権助は「それなら台所からお盆を借りてくんべえ」と言い出す。
これにより、狐を皿に乗せて証拠として持参する大失敗が露呈する。
お盆(盆の行事)とお盆(皿)の言葉遊びを使った絶妙なオチ。
解説
「お盆」は、江戸時代の宗教的詐欺師を描いた古典落語で、言葉遊びを巧妙に使ったオチが秀逸な作品です。作中の法印は正式な僧侶ではなく、怪しげな祈祷を生業とするいんちき宗教者として描かれています。
この噺の背景には、江戸時代の庶民の狐憑きに対する信仰があります。原因不明の病気や精神的な不調は「狐憑き」とされ、祈祷師による除霊が求められていました。こうした迷信を利用した詐欺は実際に横行しており、落語はそれを風刺的に描いています。
最大の見どころは、権助の「台所からお盆を借りてくんべえ」という台詞に込められた言葉遊びです。番頭が最初に「お盆を拝借したい」と言ったのは、金銭を載せるための盆(皿)のことでしたが、権助は狐を載せるためのお盆(皿)が必要だと文字通りに受け取ったのです。
この二重の意味を持つ「お盆」という言葉が、詐欺の破綻を象徴的に表現しており、権助の純朴さと法印の悪知恵の対比も効いています。また、最初に法印が狐を逃がした「善行」が巡り巡って詐欺の材料になるという皮肉な構造も、この落語の巧妙さを示しています。
あらすじ
目白で怪しげでインチキ臭い祈祷を生業としている法印の男は飯炊きの権助と二人暮らし。
近頃は祈祷を頼みに来る者もおらず生活も苦しい。
ある日、使いにやった権助が子狐をぶら下げて帰って来る。
どうしたんだと聞くと、
権助 「王子の稲荷で狐穴から出て来る所を見張って獲って来た。この頃は美味い物食ってねえから、狐汁にでもすんべえ」
そこは一応は神仏に仕える身の法印、「何を言っている。
狐は稲荷のお使い姫だ。そんなことをすると罰(ばち)が当たるぞ」と言って狐を逃がした。
すると間もなく法印の善行?のお蔭か、白山の傾城ヶ窪の商家の番頭が、「主人の娘が原因不明の病で長く臥せっております。
医者の見立てによりますと、狐憑きではないかと申します。どうか先生の祈祷で狐を落としてくださいませ」との頼み。
こんなチャンスは滅多にない。
一計を案じて、
法印 「承知した。
必ずや我が祈祷で娘さんから狐を離してみせる。
その狐は捕らえてそちらへ証(あかし)として渡すこととしよう。祈祷料は七両と二分かかるが、それでよろしいか」、番頭はあっさりと承知、法印はもうちょっと吹っ掛ければよかったかと悔やんだが、まあ七両二分は久々の大金だ。
番頭 「それでは手付に一両を置いて参りますので、お盆を拝借いたしたい・・・」、お盆はないので箱膳の蓋を代わりしてその上に一両を乗せてもらって受け取った。
番頭が帰った後、法印は権助に、「畳の上にじかに物を置くのは失礼だから、何でもお盆の上に出すものだ」、さらに「王子へ行って狐を捕まえて来い」と態度を一変、金のためなら背に腹は代えられないのか、神仏などはなから信じちゃいないのか。
法印は子狐を捕まえて来た権助を連れて傾城ヶ窪の店に向かった。
大仰な仕草で娘の寝ている部屋に入って家人は遠ざけて、狐落しのいい加減な祈祷を始めた。
頃合いを見計らって大声を張り上げ、「狐が落ちた!」と叫び、権助にこっそりと狐を渡すから出すように言うと、
権助「そうか、それなら台所からお盆を借りてくんべえ」
落語用語解説
法印(ほういん) – 本来は天台宗や真言宗の高僧に与えられる位階ですが、この噺では怪しげな祈祷を行う偽宗教者を指しています。江戸時代にはこうした「にせ法印」が多く存在しました。
狐憑き(きつねつき) – 狐の霊が人間に取り憑いて病気や異常行動を起こさせるという民間信仰。原因不明の精神疾患や神経症状を説明する手段として広く信じられていました。
王子稲荷(おうじいなり) – 東京都北区にある関東稲荷総社。狐を神の使いとして祀っており、江戸時代から庶民の信仰を集めていました。この噺では狐を捕まえる場所として登場します。
七両二分(しちりょうにぶ) – 江戸時代の通貨単位。1両は現代の約10万円相当で、七両二分は約75万円程度。当時の庶民にとっては大金でした。
お盆(おぼん) – ①仏教行事の盆、②物を載せる盆(皿)の二つの意味があり、この噺では後者の意味で使われています。番頭も権助も「物を載せる盆」の意味で使っていますが、タイトルの「お盆」には両方の意味が掛けられています。
箱膳(はこぜん) – 江戸時代に使われていた個人用の食器セット。箱に茶碗や椀などを収納し、蓋を膳として使用しました。
よくある質問(FAQ)
Q: お盆は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 江戸落語の演目です。舞台が目白、王子、白山といった江戸(東京)の地名であることからも明らかです。
Q: 法印は本物の僧侶だったのですか?
A: いいえ、この噺の法印は偽物です。正式な僧侶の資格を持たず、怪しげな祈祷で金を稼ぐいんちき宗教者として描かれています。江戸時代にはこうした「にせ法印」が実際に存在しました。
Q: 狐憑きは本当に存在したのですか?
A: 狐憑きという超自然現象は実在しませんが、原因不明の精神疾患や神経症状を説明する文化的概念として広く信じられていました。現代医学では解離性障害や統合失調症などの可能性が指摘されています。
Q: オチの「お盆を借りてくる」の意味は?
A: 番頭が最初に「お盆を拝借したい」と言ったのは、金銭を載せる盆のこと。法印も権助に「物はお盆に載せて出すもの」と教えていました。権助はそれを真に受けて、狐を載せるためのお盆が必要だと考えたのです。これにより詐欺がバレてしまうという落ちです。
Q: なぜ法印は最初に狐を逃がしたのですか?
A: 一応は宗教者としての体裁を保とうとしたためです。しかし金のためならその信仰も簡単に捨ててしまう偽善性が、この後の展開で皮肉として効いています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
古今亭志ん生(五代目) – 戦後落語界の巨匠。権助の純朴さと法印の悪賢さを見事に演じ分け、最後のオチで観客を大笑いさせる名人芸を見せました。
柳家小さん(五代目) – 人間国宝。江戸落語の正統派として、この噺でも格調高い語り口で法印と権助の主従関係を丁寧に表現しました。
古今亭志ん朝(三代目) – 名人志ん生の実子。軽妙なテンポと明快な語り口で、若い世代にも人気がありました。
柳家さん喬 – 現代の江戸落語の第一人者。人間描写に優れ、法印の偽善と権助の無知を愛嬌たっぷりに演じます。
関連する落語演目
同じく「詐欺」がテーマの古典落語
「狐」が登場する古典落語
「主従関係」を描いた古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「お盆」は単なる詐欺話ではなく、現代にも通じる深いテーマを含んでいます。
まず、「偽善」の風刺です。法印は最初に「狐は稲荷の使い姫」と言って逃がしますが、金のためならその信仰も簡単に捨ててしまいます。現代でも、建前と本音を使い分ける偽善的な態度は珍しくありません。
次に、「迷信を利用した詐欺」という普遍的なテーマです。江戸時代の狐憑きは現代のスピリチュアル詐欺や霊感商法に通じるものがあり、人間の不安につけ込む悪質さは時代を超えて変わりません。
権助の純朴さも重要なポイントです。彼は悪意なく法印の指示に従っているだけですが、その無知が結果的に詐欺を暴く役割を果たします。「正直者が最後には勝つ」という教訓とも読めます。
最後の「お盆を借りてくる」という言葉遊びは、コミュニケーションの難しさも示しています。同じ「お盆」という言葉でも、文脈によって意味が変わる。現代でも言葉の誤解から生じるトラブルは多く、この噺はそれを笑いに昇華しています。
実際の高座では、演者によって法印の悪辣さの表現や権助の純朴さの強調が異なり、それぞれの解釈が楽しめます。機会があれば、ぜひ生の落語会でこの名作をお楽しみください。










