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【古典落語】向うづけ あらすじ・オチ・解説 | 無筆の二人が葬式の受付で大慌て!江戸時代の識字率を笑いに変えた名作

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話芸の殿堂-古典落語-向うづけ
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向うづけ

3行でわかるあらすじ

字が書けない喜六が葬式の帳付けを頼まれ、同じく無筆の源兵衛と困り果てる。
参列者自身に名前を書いてもらう「向うづけ」でなんとか切り抜ける。
最後に無筆の又兵衛が来て「来たことは内緒に」というオチで終わる。

10行でわかるあらすじとオチ

喜六が大店の隠居の葬式で帳付けを頼まれて引き受けてしまう。
長屋に戻ると女房から「あんたは無筆だ」と言われて事の重大さに気づく。
女房のアドバイスで斎場へ早めに行き、もう一人の帳付けに頼もうとする。
ところが相手の源兵衛も無筆で、喜六に頼もうと待っていた。
二人は相談して「銘々づけ」「向うづけ」にすることを決める。
参列者が来て、自分で名前を書いてもらうよう「故人の遺言」と説明。
なんとか葬式は進み、店じまいの準備を始める二人。
そこへ法被姿の職人の又兵衛が駆けつけてくる。
又兵衛も無筆で名前が書けず、自分が来たことはどうなるのかと詰め寄る。
源兵衛は「あんたが来たことは内緒にしときまひょ」とオチをつける。

解説

「向うづけ」は、江戸時代の識字率の実情を背景にした滑稽噺です。原話は明和9年(1772年)刊行の笑話本「鹿子餅」の一遍「無筆」で、東京では「三人無筆」の題で演じられます。

当時の職人衆は字が読めない・書けないことが当たり前で、むしろ読み書きができると嫌われる風潮もありました。葬式の帳場では通常、受付の者が参列者の名前を記帳していましたが、無筆の二人が苦肉の策として考え出した「向うづけ」(参列者自身に書いてもらう)は、現代の記帳スタイルそのものです。

オチの「内緒にしときまひょ」は、無筆の又兵衛が来たことを記録できないため、いっそ来なかったことにしてしまうという、江戸の庶民の融通無碍な知恵を表現しています。明治以降の義務教育制度により識字率が向上し、この噺の背景となった状況は過去のものとなりましたが、人情味あふれる噺として今も愛されています。

あらすじ

一昔前は字の書ける人が少なかった。
今は葬式の参列者は自分で名前を書くが、昔は帳場の人が来た人の名前をつけた。

喜六が家に戻ると、女房が世話になっていた大店の隠居が亡くなったという。
女房に線香代をもらい、くやみを教わり、向こうでは何でも手伝うように言われて喜六は大店へ行く。

大店の御寮人さんから阿倍野の斎場の参列者の帳付けを頼まれた喜六は、紋付きに羽織袴に着替えるために長屋に戻る。
帳付けを頼まれたと聞いた女房から、あんたは字が書けない無筆だと言われ、やっと事の重大さに気づかされた喜六は、北海道か九州に逃げようなんて言い出した。

帳場は一人ではないと聞いた女房は、喜六に斎場へ早目に行って、綺麗に掃除し、帳場を準備万端整え、後から来た一人に、自分が無筆なことを白状して帳付けを頼むように行って喜六を送り出す。

斎場へ着くと帳場はもうすっかり準備、整理され、もう一人の帳付けの源兵衛はお茶、お菓子まで用意して、首を長くして喜六を待っていた。
源兵衛も無筆で喜六に帳付けを頼もうと思っていたのだ。
二人は相談して今日の帳付けは来た人が自分の名前を書く、「銘々づけ」、「向うづけ」にすることにする。

さあ葬式の参列者が続々と来始めた。「銘々づけ」と聞いて文句を言う者もいるが、「故人の遺言で」と切り抜ける。
まさに「死人に口なし」は二人には最高な名言だ。

やっと参列者も途切れ、ほっとして店じまいに取り掛かる二人だが、法被姿の職人の手伝い(てったい)の又兵衛が仕事場から駆けつけて来た。
むろん無筆の御人で「銘々づけ」など無理な話だ。
又兵衛は自分が葬式へ来たことはどうなるのかと問い詰める。

源兵衛 「あんたが来たことは内緒にしときまひょ」


落語用語解説

向うづけ(むこうづけ)/銘々づけ(めいめいづけ)

参列者が自分で名前を記帳する方式。現代では当たり前ですが、江戸時代には受付係が代筆するのが通常でした。

無筆(むひつ)

字が読めない、書けないこと。江戸時代の職人層には無筆が多く、読み書きできることが逆に職人仲間で疎んじられることもありました。

帳付け(ちょうつけ)/帳場(ちょうば)

葬式や法事で、参列者の名前や香典を記録する係のこと。重要な役目で、信頼できる人が任されました。

大店(おおだな)

大きな商家のこと。従業員も多く、取引先や関係者も広範囲で、葬式も大規模になりました。

斎場(さいじょう)

葬式を行う場所。江戸時代には寺院や専用の施設が使われました。阿倍野は大阪の地名です。

御寮人(ごりょんさん)

商家の奥さん、女主人のこと。店の実務を取り仕切ることも多く、重要な存在でした。

紋付き羽織袴(もんつきはおりはかま)

男性の正装。家紋が入った羽織と袴を着用する格式ある装いで、葬式などの公式行事に着用しました。

線香代(せんこうだい)

葬式や法事に持参する香典のこと。線香を供える代わりの金銭という意味です。

くやみ

葬式で遺族に述べるお悔やみの言葉。「この度はご愁傷様でございます」などの定型句があります。

法被(はっぴ)

職人が着る作業着。背中に屋号や職種が染め抜かれていることが多く、職人の正装でもありました。

手伝い(てったい)

職人の助手や見習いのこと。親方の下で修業しながら仕事を手伝う若い職人を指します。

死人に口なし(しにんにくちなし)

亡くなった人は反論できないという意味。この噺では「故人の遺言」という嘘が通用する根拠となっています。

よくある質問 FAQ

Q1: なぜ江戸時代の職人は字が書けなかったのですか?

A1: 江戸時代には義務教育制度がなく、寺子屋に通える子供は限られていました。特に職人は幼い頃から修業を始めるため、読み書きを学ぶ機会が少なかったのです。また、職人社会では「腕が全て」という風潮があり、読み書きできることが逆に「職人らしくない」と疎んじられることもありました。

Q2: 「向うづけ」は実際に存在した方式ですか?

A2: この噺は無筆の二人の苦肉の策として描かれていますが、実際には識字率の高い武士や商人層では自筆記帳が行われることもありました。皮肉なことに、この噺で笑いのネタとされた「向うづけ」が、現代では標準的な記帳方式になっています。

Q3: なぜ又兵衛は最後に駆けつけてきたのですか?

A3: 仕事場から抜け出してきた設定です。職人は日中仕事をしているため、葬式にすぐには行けません。仕事の区切りをつけて、急いで駆けつけたという状況です。法被姿のまま来たのも、仕事着のまま慌てて来た証拠です。

Q4: 「内緒にしときまひょ」というオチの意味は?

A4: 又兵衛も無筆で名前が書けないため、記帳できません。記録に残せないなら、いっそ来なかったことにしてしまおう、という開き直りのオチです。故人への弔意は確かにあるのに、記録できないという矛盾を、江戸っ子らしい融通無碍な発想で解決しています。

Q5: この噺は上方落語ですか?江戸落語ですか?

A5: 上方落語の演目です。登場人物の名前(喜六、源兵衛)や言葉遣い、舞台が大阪の阿倍野であることから明らかです。江戸落語では「三人無筆」という題で演じられることがあり、細部の設定が異なります。

Q6: 現代でもこの噺は面白いのですか?

A6: 現代では識字率がほぼ100%なので、無筆という状況がピンと来ない人もいるでしょう。しかし、「できないことを頼まれて慌てる」「同じ境遇の人同士が助け合おうとして結局助け合えない」という普遍的な笑いは健在です。また、江戸時代の社会背景を知る歴史的な価値もあります。

名演者による口演

六代目笑福亭松鶴

松鶴の「向うづけ」は喜六と源兵衛の慌てぶりが秀逸で、無筆の職人たちへの温かい眼差しが感じられる演出でした。

三代目桂米朝

米朝は江戸時代の識字率の実情を丁寧に説明し、無筆が決して恥ではなかった時代背景を伝えながら笑いを取りました。

五代目桂文枝

文枝は喜六の女房の知恵と、二人の職人の困惑を対比させ、庶民の生活感あふれる演出が魅力的でした。

二代目桂枝雀

枝雀は「死人に口なし」を切り札に使う場面を特に強調し、二人の悪知恵と罪悪感の葛藤を面白おかしく演じました。

三代目桂南光

南光は又兵衛の登場場面を膨らませ、三人の無筆が揃った滑稽さを強調する演出で新鮮な笑いを生み出しました。

関連する落語演目

手紙無筆

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無筆が題材の噺。字が書けないことで起きる騒動という点で「向うづけ」と共通しています。

粗忽長屋

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長屋の住人たちの騒動を描く噺。庶民の生活感や人情という点で関連があります。

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大丸屋騒動

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大店を舞台にした騒動。商家の葬式という設定で「向うづけ」と共通する要素があります。

江島屋騒動

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大店での騒動を描く噺。商家の内情や人間関係という点で関連性があります。

この噺の魅力と現代への示唆

「向うづけ」の最大の魅力は、識字率という社会的背景を巧みに笑いに変えている点です。現代人から見れば不思議な状況ですが、江戸時代には職人の多くが無筆であり、それが恥ずかしいことでもありませんでした。むしろ「職人は腕が全て」という価値観があり、読み書きできることが逆に職人仲間で疎まれることさえあったのです。

喜六と源兵衛が互いに相手を頼りにしていたという展開は、古典的な「すれ違いギャグ」の見本です。二人とも無筆で、お互いに助けを期待していたのに、実際には誰も助けられないという状況は、現代のコントにも通じる普遍的な笑いです。

「銘々づけ」「向うづけ」という苦肉の策が、現代では標準的な記帳方式になっているという皮肉も面白いポイントです。当時は「参列者自身が書く」という発想が革新的(あるいは非常識)だったのに、今では当たり前になっています。時代の変化とともに、常識も大きく変わることを示しています。

「故人の遺言で」という嘘を正当化の理由にする場面は、「死人に口なし」という言葉の実践例です。亡くなった人は反論できないため、この嘘は絶対に暴かれません。倫理的には問題がありますが、二人の必死さと機転の利かせ方が笑いを生んでいます。

最後の又兵衛の登場は、問題が解決したと思った瞬間に新たな問題が発生するという、落語の定番パターンです。しかも又兵衛も無筆で、三人揃って無筆という状況がさらなる笑いを生みます。

「あんたが来たことは内緒にしときまひょ」というオチは、記録できないなら来なかったことにしてしまうという開き直りです。故人への弔意は確かにあるのに、記録に残せないという矛盾を、江戸の庶民らしい融通無碍な発想で解決しています。形式より実質を重んじる庶民の知恵とも言えます。

現代への示唆としては、「記録の重要性」が挙げられます。現代社会は記録社会で、あらゆることが文書化、デジタル化されています。しかし、記録できないことは「なかったこと」にされる危険性もあります。又兵衛の弔意は確実に存在するのに、記録がなければ「来なかった」ことになってしまうのです。

また、「できないことを正直に認める難しさ」も描かれています。喜六も源兵衛も、最初は無筆であることを隠そうとします。現代でも、自分の弱点や欠点を認めることは勇気がいります。しかし、正直に話せば助け合えるかもしれません(この噺では二人とも無筆でしたが)。

「専門性と教養のバランス」という問題も見えてきます。職人として腕は一流でも、読み書きができないと困る場面はあります。現代でも、専門技術に優れていても、コミュニケーション能力や基礎的な教養がないと困る場面は多々あります。

江戸時代の職人文化や長屋の人情も感じられる噺です。女房が知恵を授ける場面、源兵衛がお茶とお菓子を用意して待っている場面など、人々の優しさや気遣いが随所に見られます。

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