もう半分
3行でわかるあらすじ
千住の酒屋夫婦が常連客の八百屋の爺さんが忘れた五十両を猫糞する。
爺さんは絶望して千住大橋から身投げし、冷酷な女房は喜ぶ。
生まれた赤子は爺さんそっくりで、夜中に油を舐めて「もう半分ください」と言う。
10行でわかるあらすじとオチ
千住の注ぎ酒屋に毎日来る八百屋の爺さんが、いつも「もう半分」と言って酒を飲む。
ある日、爺さんが五十両の入った風呂敷包みを忘れて帰る。
正直な亭主は届けようとするが、身重の女房が猫糞しようとそそのかす。
爺さんが戻って来て、娘が吉原に身を売って作った金だと訴えるが女房は知らないと突っぱねる。
絶望した爺さんは千住大橋から身を投げて自殺してしまう。
まもなく女房が産んだ赤子は、歯が生えて白髪のある爺さんそっくりの不気味な姿。
女房は恐怖のあまり血が昇って死に、亭主は五十両で店を大きくする。
赤子の世話をする婆やが次々辞め、夜中に赤子が行灯の油を舐めると言う。
亭主が確かめると、赤子が油を舐めているのを目撃し、棒で打とうとする。
すると赤子が油皿を差し出して「もう半分ください」と言う。
解説
『もう半分』は、江戸落語の中でも特に恐ろしい怪談落語の代表作です。因果応報の理(ことわり)を恐怖と共に描いた作品で、人間の欲深さが招く悲劇を戦慄的に表現しています。
物語の巧みさは、日常的な「もう半分ください」という言葉が、最初は酒のお代わりの言葉として登場し、最後には恐怖のオチとして再現される構成にあります。この反復によって、聴衆は最後の一言で背筋が凍る思いをすることになります。
舞台となる千住は、日光街道の宿場町として栄えた場所で、「やっちゃ場」と呼ばれる青物市場があったことでも知られています。また、千住大橋は江戸時代から存在する歴史的な橋で、実際に身投げの名所としても知られていました。
赤子が行灯の油を舐めるという描写は、江戸時代の妖怪譚によく見られるモチーフです。油を舐める化け物は「あぶらなめ」として知られ、この噺ではそうした民間伝承の要素も巧みに取り入れています。落語の中でも珍しい本格的な怪談噺として、夏の高座でよく演じられる演目です。
あらすじ
日光街道千住のやっちゃ場そばの、枡で量った酒を茶碗に注(つ)いで吞ませる注ぎ酒屋。
今日も店じまい時に近くに住む棒手振りの八百屋の爺さんがやって来た。
いつもの通り茶碗に半分つがせ、呑み終わると、「もう半分ください」と言って、数杯お代わりして少し酔って帰って行った。
酒屋の亭主が爺さんの座っていた樽を見ると、ずしりと重い風呂敷包みが忘れてある。
中を見ると五十両の大金だ。
正直者の亭主は身重の女房にこのことを話し、爺さんの後を追いかけて届けてやろうとするが、女房は、折角転がり込んだ大金だ、しらばっくれて猫糞(ねこばば)してしまおうと亭主をそそのかす。
そこへ風呂敷包みを忘れたことに気が付いた爺さんが、あわてふためいて戻って来た。
女房が前に出て、そんな物はなかったと言い放す。
爺さんはあの金は娘が吉原に身を売ってこしらえてくれた金で、元手にして棒手振りはやめて八百屋の店を持つのだと言う。
それを聞いても女房は知らないと突っぱね、亭主も仕方なく女房の言うままだ。
爺さんはあきらめて、しょんぼりと店を出て行った。
その後ろ姿を見た亭主は、いたたまれずに爺さんを追い駆ける。
ちょうど千住の大橋まで来た時、橋から川へ身を投げる人影、続いてザブーンという音がした。「南無阿弥陀仏」と手を合わせて後悔したが後の祭り。
店へ戻った亭主に、女房は爺さんが死んでしまえば金は自分たちの物と喜ぶ冷酷さだ。
すぐに女房は赤子を産むが、これが歯が生えて白髪のある薄気味悪い男の子で、あの爺さんそっくり。
赤子を見た女房は恐怖のあまり血が昇り死んでしまった。
亭主は手に入れた五十両で、店を大きくし雇い人も増やして繁盛する。
赤子は桂庵から婆やを頼んで世話をさせるが、5日と持たずヒマを取ってしまう。
今日もまた婆やがやめると言い出した。
困った亭主が手当を増やすから居てくれと頼むが、手当は充分だが、赤ん坊が怖いという。
夜更けて八つの鐘を聞くと赤子が起き上がり行灯のそばに行って油を舐めるのだという。
今夜自分で様子を見るからと婆やをなだめ、亭主は自分の目で確かめることにする。
その夜、八つの鐘が鳴ると、赤子がむっくりと起き上がり、ちょこちょこと行灯の所へ行き、行灯の油を舐め始めた。
これを見て、ぞぉーとして来た亭主が棒を持って近づき、「こん畜生め!」と打ちかかろうとすると、赤子がこちらをジロッと見て、油皿をひょいと差出して、
「もう半分ください」
落語用語解説
猫糞(ねこばば)
拾った物を届けずに自分の物にすること。猫が糞をした後に砂をかけて隠す習性から、悪事を隠蔽する意味でも使われます。
注ぎ酒屋(つぎざかや)
江戸時代の立ち飲み酒屋。枡で量った酒を茶碗に注いで飲ませる形式で、庶民の憩いの場でした。
やっちゃ場
青物市場のこと。千住のやっちゃ場は江戸時代から続く有名な野菜市場で、現在も「足立市場」として存続しています。
棒手振り(ぼてふり)
天秤棒に荷を担いで行商する商人のこと。八百屋の棒手振りは野菜を担いで売り歩きました。
千住大橋(せんじゅおおはし)
隅田川に架かる橋で、江戸時代から存在する歴史的な橋。日光街道の重要な通過点でした。
吉原(よしわら)
江戸時代の公認遊廓。浅草近くにあり、娘が身を売るといえば吉原を指すことが多かったです。
五十両(ごじゅうりょう)
江戸時代の大金。現在の価値で500万円から1000万円程度とされ、庶民にとっては一生働いても手に入らない金額でした。
行灯(あんどん)
江戸時代の照明器具。菜種油などを燃料として灯りを灯し、紙や絹の覆いで風を防ぎました。
桂庵(けいあん)
口入屋(人材紹介業)の一種。特に乳母や子守、女中などを斡旋する業者を指すことが多かったです。
八つの鐘(やつのかね)
江戸時代の時刻で、現在の午前2時頃。不定時法による時刻の数え方で、深夜を意味します。
因果応報(いんがおうほう)
仏教用語で、善悪の行いに応じた報いが必ず返ってくるという教え。この噺の中心的なテーマです。
あぶらなめ
江戸時代の妖怪で、夜中に行灯の油を舐めるとされた化け物。この噺の重要なモチーフです。
よくある質問 FAQ
Q1: なぜ赤子が爺さんそっくりの姿で生まれたのですか?
A1: 仏教の輪廻転生思想に基づき、死んだ爺さんの魂が酒屋の子として生まれ変わったという設定です。悪事を働いた夫婦への因果応報として、被害者が加害者の子として生まれ、報復するという恐ろしい構造になっています。生まれながらに歯が生え白髪があるという異常な姿は、霊的な存在であることを示しています。
Q2: 女房が血が昇って死んだのはなぜですか?
A2: 自分たちが殺した爺さんそっくりの赤子を見て、恐怖のあまりショック死したということです。悪事の報いが即座に現れた形で、因果応報の恐ろしさを象徴しています。女房は最も冷酷に爺さんを突き放した張本人なので、最初に報いを受けるのです。
Q3: なぜ赤子は油を舐めるのですか?
A3: 江戸時代の妖怪「あぶらなめ」のモチーフが使われています。爺さんは酒好きだったので、赤子も何かを舐める習性があり、それが油になったという解釈もできます。また、油を舐めるという不気味な行為が、この赤子が普通の人間ではないことを強調しています。
Q4: 「もう半分ください」というオチの意味は?
A4: 爺さんが酒を飲む時の口癖が「もう半分ください」でした。赤子が油皿を差し出して同じセリフを言うことで、この子が確実に爺さんの生まれ変わりであることを明かす決定的な証拠となります。日常的だった言葉が恐怖のオチとして再現される構成の見事さです。
Q5: 亭主は五十両で店を大きくして繁盛していますが、罰は当たらないのですか?
A5: 表面的には店は繁盛していますが、妻は死に、赤子の世話をする婆やは次々と辞め、最後には赤子の正体が明らかになります。物質的な成功は得ても、精神的な恐怖と苦しみが続くという形で罰は当たっています。むしろ死ねない分、生き地獄を味わうことになるのです。
Q6: この噺は実話ですか?
A6: 創作ですが、千住大橋や千住のやっちゃ場など、実在の場所を舞台にしています。江戸時代には因果応報を説く怪談が多く作られ、民衆の道徳教育の役割も果たしていました。拾得物の猫糞や不正な蓄財への戒めという教訓的な意味も込められています。
名演者による口演
三遊亭圓朝
怪談噺の名手・圓朝が得意とした演目。圓朝の創作という説もあり、細かい描写と恐怖の演出が秀逸でした。
五代目古今亭志ん生
志ん生の「もう半分」は女房の冷酷さと亭主の弱さを巧みに対比させ、人間の欲深さをリアルに描きました。
六代目三遊亭圓生
圓生は千住の情景描写が詳細で、爺さんの絶望と赤子の不気味さを丁寧に演じ、聴衆を恐怖に引き込みました。
八代目桂文楽
文楽は赤子が油を舐める場面の演出が秀逸で、静かな恐怖を醸し出す語り口が印象的でした。
五代目柳家小さん
小さんは因果応報のテーマを前面に出し、教訓的な要素を強調しながらも、恐怖の描写を損なわない演出でした。
関連する落語演目
怪談乳房榎
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江戸落語を代表する本格怪談噺。因果応報と恐怖の描写という点で「もう半分」と共通しています。
猫怪談
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猫をめぐる怪談噺。動物の怨念や報復というテーマで関連性があります。
死神
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死と向き合う噺。人間の欲深さが招く悲劇という構造が「もう半分」と似ています。
居酒屋
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酒屋を舞台にした噺。庶民の酒場の雰囲気という点で共通する背景があります。
酒の粕
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酒にまつわる噺。酒を通じた人間模様を描く点で関連があります。
夢の酒
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酒好きの老人が登場する噺。酒を愛する庶民の姿という点で「もう半分」の爺さんに通じます。
この噺の魅力と現代への示唆
「もう半分」の最大の魅力は、日常的な言葉が恐怖のオチとして反復される構成の見事さです。冒頭で何気なく使われた「もう半分ください」という酒のお代わりの言葉が、最後には赤子の口から発せられることで、背筋が凍るような恐怖を演出します。この言葉の反復という技法は、落語の中でも特に効果的に使われている例です。
因果応報というテーマは、江戸時代の仏教思想を色濃く反映しています。悪事を働けば必ず報いがあるという教えは、現代でも通用する普遍的な道徳観です。拾得物を届けずに猫糞するという行為は、現代の遺失物横領罪にあたり、法的にも道徳的にも許されません。
この噺が特に恐ろしいのは、被害者が加害者の子として生まれ変わるという設定です。逃れられない因縁、断ち切れない怨念という構造は、現代のホラー作品にも通じる普遍的な恐怖です。赤子という無力な存在が、実は恐ろしい復讐者であるという逆転も見事です。
女房の冷酷さも印象的です。正直者の亭主をそそのかし、娘が身を売った金だと訴える爺さんを冷たく突き放す姿は、人間の欲深さと残酷さを象徴しています。現代でも、金銭欲のために良心を捨てる人間の姿は後を絶ちません。
亭主が五十両で店を大きくして繁盛するという描写も皮肉です。表面的には成功しているように見えますが、妻は死に、赤子の世話をする婆やは次々と辞め、最後には赤子の正体が明らかになります。不正な金で得た成功は、決して幸福をもたらさないという教訓です。
千住という実在の場所を舞台にすることで、噺にリアリティが生まれています。千住大橋は実際に存在する橋で、身投げの名所としても知られていました。やっちゃ場という青物市場も実在し、現在も足立市場として続いています。こうした具体的な地名が、怪談のリアリティを高めています。
行灯の油を舐める描写は、江戸時代の妖怪「あぶらなめ」のモチーフを巧みに取り入れています。民間伝承と仏教思想を融合させた、日本的な怪談の典型例です。
現代への示唆としては、目先の利益に目がくらんで不正を働くことの愚かさが挙げられます。SNSやニュースで、横領や詐欺などの事件が後を絶ちませんが、結局は発覚して社会的制裁を受けることになります。「もう半分」の夫婦のように、不正な利益は必ず何らかの形で報いとなって返ってくるのです。
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