松曳き
3行でわかるあらすじ
家老の田中三太夫が殿様から赤松の移植について相談され、植木屋を呼んで対応するが敬語で混乱する。
酒宴の最中に手紙が届き、三太夫が「御貴殿姉上様御死去」を「御殿様姉上様御死去」と読み間違えて報告する。
殿様が切腹を命じようとした時に「そういえば余に姉はなかった」と気づいて一件落着となる。
10行でわかるあらすじとオチ
殿様が築山の赤松を泉水の脇に移植できるかを家老の田中三太夫に相談する。
三太夫は植木屋の八五郎を呼び、殿様に直接答えるよう命じるが敬語の使い方を指導する。
八五郎は「お〜奉る」を連発して意味不明になり、殿様が普通に話せと言うと今度は早口すぎて聞き取れない。
結局松の移植は問題ないとわかり、殿様は植木屋たちに酒をふるまって宴会が始まる。
宴会の最中に三太夫のもとに国許から急ぎの手紙が届き、慌てて読んで殿様に報告に向かう。
三太夫は「御殿様姉上様御死去」と報告し、殿様は驚いて死去の詳細を聞こうとする。
三太夫が手紙を読み直すと「御貴殿姉上様御死去」で自分の姉の死だったことがわかる。
人違いと知って怒った殿様は三太夫に切腹を命じ、三太夫は腹を切ろうとする。
その時殿様が「待て待て、よく考えたら余に姉はなかった」と気づいて騒動は収まる。
主従ともに粗忽で最初から存在しない姉の死で大騒ぎしていたという間抜けなオチとなる。
解説
「松曳き」は「粗忽大名」「主従の粗忽」とも呼ばれる古典落語の代表的な滑稽噺です。主君と家臣がともに absent-minded(粗忽)で、些細な勘違いが大騒動に発展する様子を描いています。
この噺の見どころは二段構えの笑いにあります。前半は植木屋八五郎の敬語の使い方をめぐる言葉遊びの滑稽さ、後半は漢字の読み間違いから始まる深刻な騒動です。「御貴殿姉上様御死去」と「御殿様姉上様御死去」という一文字の違いが生死に関わる大問題となる展開は、江戸時代の武家社会の厳格さを背景としています。
最終的なオチは、切腹という重大な局面で殿様自身が「姉がいなかった」ことに気づくという、究極の粗忽ぶりです。七代目立川談志は「イリュージョン落語」と称してこの存在しない姉の死を殿様が悲しむ演出を加えるなど、演者によって様々なアレンジが施される奥の深い作品として知られています。
あらすじ
殿様に築山の赤松を泉水の脇に移せるか聞かれた家老の田中三太夫。
赤松は先代のお手植えの松で、万一枯らしては一大事と、出入りの植木屋に聞くことにする。
殿様は植木屋に直(じか)に聞くと言う。
三太夫は植木屋の八五郎に無礼がなきよう、上に「お」、下に「奉る」をつけて答えるようにと言い渡す。
殿様の前に出た八五郎、「お・・奉る」を連発し、殿様も三太夫も自分も何を行っているのか分からない。
殿様は友達に話すようにざっくばらんに申せと言う。
そうなればしめたもの、すらすらとべらんめえ調でまくしたてるが、今度は早すぎて殿様には分からない。
要は赤松を移すのは簡単で枯らすことなどないという返事だった。
殿様は安心して喜び、植木屋一同に酒をふるまう。
宴たけなわの頃、三太夫に国許(くにもと)から早馬で書状が来たのですぐ戻れとの使いが来た。
家老部屋に戻って書状を読むと、「御殿様姉上様御死去」とある。
一大事とあわてて、殿様の元へ戻った三太夫は、「御殿様姉上様御死去」と知らせる。
殿様は驚き、「何時ご死去された」と聞く。
三太夫はそこまでは読まなかったと部屋に戻り再読だ。
すると「御貴殿姉上様御死去」だった。「これは大失態、切腹して殿にお詫びしよう」と言うのを家来が引き止め、殿に誤りを言上してからでも遅くないと諭され再び殿の御前へ。
人違いと聞いて怒った殿様は三太夫に切腹を命じる。
三太夫が腹を切ろうとすると、
殿様 「待て待て三太夫、切腹には及ばん、よう考えたら余に姉はなかった」
落語用語解説
- 粗忽(そこつ): うっかりしていて注意力が散漫なこと。この噺では殿様と家老の両方が粗忽で、存在しない姉の死で大騒ぎする。
- 家老(かろう): 藩の最高位の家臣。田中三太夫は家老として殿様に仕えているが、粗忽な性格が災いする。
- 切腹(せっぷく): 武士が責任を取って腹を切る自決の方法。読み間違いという失態で切腹を命じられる三太夫の窮地が描かれる。
- 御貴殿(ごきでん): 相手を敬って呼ぶ言葉。「御貴殿姉上様」は三太夫の姉のことだが、「御殿様姉上様」と読み間違えた。
- 国許(くにもと): 藩主の領地。江戸詰めの家臣にとって故郷の藩を指す。三太夫に国許から手紙が届く。
- 築山(つきやま): 庭園に作られた人工の山。殿様が築山の赤松を泉水に移植したいと相談する。
- 泉水(せんすい): 庭園の池。築山の赤松を泉水の脇に移すという依頼。
- お〜奉る: 丁寧語の使い方。植木屋八五郎が上に「お」、下に「奉る」をつけるよう指示され、意味不明な言葉になってしまう。
- べらんめえ調: 江戸っ子の荒っぽい話し方。八五郎が友達に話すように言われて早口のべらんめえ調でまくしたてる。
- 宴たけなわ: 酒宴が盛り上がっている様子。植木屋たちに酒をふるまって宴会が盛り上がっているときに手紙が届く。
- 早馬(はやうま): 急ぎの知らせを届ける早い馬。国許から早馬で書状が届いたという緊急性を示す。
- 姉上様(あねうえさま): 姉を敬って呼ぶ言葉。最終的に殿様に姉はいなかったことが判明する。
よくある質問 FAQ
Q1: なぜ三太夫は「御貴殿」を「御殿様」と読み間違えたのですか?
A1: 漢字の「貴」と「殿」が似ていることと、慌てていたために読み間違えました。また、普段から殿様に関する書状を扱っているため、「御殿様」という言葉に慣れすぎていたことも一因です。
Q2: なぜ殿様は切腹を命じるほど怒ったのですか?
A2: 存在しない姉の死を報告され、殿様は深く悲しんだ後で「実は人違いでした」と言われたため、感情を弄ばれたと感じて激怒しました。武家社会では失態に対する処罰が厳しかったことも背景にあります。
Q3: 植木屋八五郎の敬語の場面は何が面白いのですか?
A3: 上に「お」、下に「奉る」をつけるという指示を真面目に実行すると「お移植奉る」など意味不明な言葉になってしまいます。逆に友達のように話せと言われると早口すぎて聞き取れないという、両極端な反応が滑稽です。
Q4: 最後のオチ「余に姉はなかった」の意味は?
A4: 殿様自身も粗忽で、最初から姉がいなかったのに姉の死を悲しみ、三太夫に切腹を命じるまで激怒していました。主従ともに粗忽だったという究極のオチです。
Q5: この噺の「松曳き」というタイトルの意味は?
A5: 松を移植する(曳く)作業が物語の発端となっているためこのタイトルがついています。松の移植相談から始まって、手紙の読み間違い騒動に発展する展開です。
Q6: この噺の教訓は何ですか?
A6: 確認の大切さと、思い込みの危険性を描いています。三太夫は慌てて読んで思い込み、殿様も姉がいないことを忘れて悲しむという二重の粗忽が、深刻な事態を引き起こします。現代でも誤読や思い込みによる失敗は多く、普遍的な教訓と言えます。
名演者による口演
この噺を得意とした落語家には以下の名人がいます:
- 三遊亭圓生(六代目): 殿様の威厳と粗忽さを絶妙に演じ分け、特に最後の「姉はなかった」の気づきの間が見事だった。
- 古今亭志ん生(五代目): 三太夫の慌てぶりと殿様の粗忽ぶりを軽妙に描き、武家社会の滑稽さを強調した演出が特徴。
- 立川談志(七代目): 存在しない姉の死を殿様が深く悲しむ「イリュージョン落語」と称する独特の演出で話題となった。
- 古今亭志ん朝(三代目): 明快な語り口で植木屋の敬語場面と手紙の読み間違い場面の両方を鮮やかに演じ分けた。
- 柳家小三治: 三太夫と殿様の心理描写を丁寧に語り、粗忽の滑稽さと同時に人間味を表現した。
関連する落語演目
粗忽や読み間違い、武家を題材にした演目:
- 粗忽長屋 – 粗忽な長屋の住人たちを描いた粗忽噺の代表作
https://wagei.deci.jp/wordpress/sokotsunagaya/ - 粗忽の釘 – 粗忽な大工が引き起こす騒動
https://wagei.deci.jp/wordpress/sokotsunokugi/ - 粗忽の使者 – 粗忽な使者が起こす武家の騒動
https://wagei.deci.jp/wordpress/sokotsunoshisha/ - 大名道具 – 大名家の道具をめぐる滑稽噺
https://wagei.deci.jp/wordpress/daimyoudougu/ - 転失気 – 知ったかぶりで失敗する滑稽噺
https://wagei.deci.jp/wordpress/tenshiki/ - 時そば – 計算の誤魔化しで蕎麦代を騙し取る噺
https://wagei.deci.jp/wordpress/tokisoba/ - 千早振る – 百人一首の読み間違いを使った噺
https://wagei.deci.jp/wordpress/chihayafuru/
この噺の魅力と現代への示唆
「松曳き」の最大の魅力は、二段構えの笑いの構造にあります。前半は植木屋八五郎の敬語をめぐる言葉遊びの滑稽さで、後半は手紙の読み間違いから始まる深刻な騒動です。軽い笑いから重大な事態への展開、そして最後の究極の粗忽オチという構成は、見事な落語技法と言えます。
特に秀逸なのは、「御貴殿姉上様」と「御殿様姉上様」という一文字の違いが生死に関わる大問題となる展開です。江戸時代の武家社会では、主君に関する失態は切腹ものの重罪でした。現代で言えば、メールの誤送信や誤読が重大な問題を引き起こす状況に相当するでしょう。
最終的なオチは、切腹という極限状態で殿様自身が「姉がいなかった」ことに気づくという、究極の粗忽ぶりです。主従ともに粗忽で、最初から存在しない姉の死で大騒ぎしていたという構図は、確認の大切さと思い込みの危険性を象徴しています。
現代社会においても、この噺が描くテーマは極めて重要です。SNSでの誤読や早とちり、フェイクニュースの拡散、確認不足による失敗など、粗忽が引き起こす問題は後を絶ちません。特に、権威や地位のある人物の粗忽は影響が大きいという点も、現代のリーダーシップに通じる教訓です。
また、植木屋八五郎の敬語の場面は、過度な敬語や形式主義の滑稽さを描いています。本質を失った形式だけの礼儀は意味をなさないという指摘は、現代のビジネスマナーやコミュニケーションにも通じる普遍的なテーマと言えるでしょう。
立川談志が「イリュージョン落語」と称したように、存在しない姉の死を殿様が悲しむという設定は、人間の思い込みの強さと、現実と虚構の境界を考えさせる深い作品でもあります。
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