肝つぶし
3行でわかるあらすじ
吉松が夢の中の呉服屋の娘に恋患いになり、医者から年月揃った女の生き肝を煎じて飲ませると治ると聞く。
友達は妹お花がその条件に当てはまると気づき、恩返しのため包丁を持って殺害を試みるが涙で目を覚ましてしまう。
慌てて芝居の稽古をしていたと嘘をつくと、お花が「肝が潰れた」と言うので「薬にならんがな」とオチをつける。
10行でわかるあらすじとオチ
吉松が恋患いで病気になり、友達が見舞いに来ると呉服屋の娘に恋をしたと話すが、実は全て夢だった。
医者から「年月揃った女の生き肝を煎じて飲ませると治る」という中国の古い医学書の話を聞く。
年月揃ったとは、同じ干支の年・月・日・刻に生まれた女性のことで、そんな女性を殺すなど土台無理な話。
友達は吉松の父親への恩返しを考え、帰宅後に妹お花がまさにその条件に当てはまると思い出す。
友達は酒を飲んで決意を固め、包丁を研いでお花の寝間にそっと忍び込む。
お花の顔を見ながら覚悟を決めて包丁を振り上げるが、兄妹の情で思わず涙がポロリと落ちる。
涙でお花が目を覚まし「兄さん、わてを殺す気か」と驚くと、友達は慌ててしまう。
咄嗟に「仲間内で芝居をすることになり、寝てる女を殺す役が当たって稽古をしていた」と嘘をつく。
お花は安心するが「ふっと目が覚めたら包丁を振り上げてて、ホンマに肝が潰れた」と文句を言う。
友達が「肝が潰れた?あぁ〜、薬にならんがな」と答える絶妙な地口オチで締める。
解説
「肝つぶし」は元々上方落語の演目で、後に東京にも移植された古典落語の代表作の一つです。桂米朝(三代目)、桂ざこば(二代目)、三遊亭圓生(六代目)、柳家さん喬などの名人によって演じられ、現在でも多くの落語家に愛され続けています。
この落語の最大の特徴は、タイトルの「肝つぶし」に込められた二重の意味にあります。物語中では「年月揃った女の生き肝」が薬になるという設定で「肝」が重要な要素として扱われ、最後にお花が驚いて「肝が潰れた」(びっくりした)と言うことで、文字通りの「肝つぶし」となるという巧妙な構造になっています。
オチの仕組みは典型的な地口オチ(言葉遊びオチ)で、「肝が潰れた」という慣用句を「薬にならない」という現実的な意味に転換する機知に富んだ表現です。桂米朝師匠が指摘したように、この演目は「大山鳴動して鼠一匹」の代表例とされ、殺人という重大な展開を期待させながら、最終的には何事もなかったという落差で笑いを生む落語の典型的な技法を示しています。
「年月揃った」という設定は、中国の唐の時代に楊貴妃に恋焦がれた男性の故事に基づくもので、同じ干支の年・月・日・刻に生まれた人物の特別性を表現した古典的な発想です。この非現実的な治療法を真に受けて行動に移そうとする友達の純粋さと、最後の言い訳の滑稽さが、観客に罪悪感と安堵感を同時にもたらす絶妙な人情噺でもあります。
あらすじ
吉松が患っていると聞いて友達がやって来る。
吉松の病は「お医者さんでも有馬の湯でも、惚れた病は治りゃせぬ」の恋患いと聞いて友達は一安心、どこの娘に惚れたのか聞く。
吉松が言うには、先日、呉服屋に買い物に行ったが、意地の悪い番頭に邪険な客扱いをされた。
そこへ店の娘が現れ、番頭を叱りつけ吉松に謝って晒し七尺の買い物のほかに、反物を仕立てて長屋まで持って来てくれるという。
その夜、どんどんと戸を叩くので開けると、呉服屋の娘が立っていた。
根性悪の番頭が縁談を勧め、今晩仮祝言を挙げさせられるという。
娘の父親が死に、母親も番頭に頼らないと店の切り盛りができないので番頭はそれをいいことに、娘を他家へ嫁がせ、店を乗っ取ろうとしているという。
今夜はここへ泊めてかくまってくれという娘と二人切りの所へ、若い者を連れてやって来た番頭が、いやがる娘を引っ張って行ってしまった。
何の手出しもできず、惚れた娘を奪われくやしくて思わず涙がポロポロ、チーン、チーンという音で、目が覚めたら二時だった。
なんと全部夢の話で、呉服屋も娘も番頭も全部夢の中、友達はただ唖然とするばかりだ。
吉松は医者にもこの話をしたが、夢では薬の盛りようがないと、さじを投げたが、何でも唐土(もろこし)の古い医学の本に、「夢の中の女に惚れて、命が危うくなった時に、年月揃った女の生き肝を煎じて飲ましたら、スッとおこりが落ちて、何もかも忘れて元気になった」話が書いてあったという。
年月揃ったというのは、子でも丑、寅でも何でもよく、 辰なら辰年の辰の月、辰の日、辰の刻に生まれた女のことだ。
だが年月揃った女を殺してその生き胆を煎じるなど、土台無理な話、友達も手の打ちようがなく、「またゆっくり来るから、とにかく気をしっかり持ってな」と励まして帰るほかない。
両親を早くなくした吉松の友達は、二十一になる妹のお花と二人暮らし。
吉松の親父からは三人兄弟同様に育てられ、その恩を深く感じていて、なんとか吉松を助けたい。
帰りながらふと死んだ母親の言葉を思い出す。
母親が「お花の生まれは人に言うことがならんで、年月が揃たぁるさかいな」。
これだ、吉松から生き胆の話など聞かねばよかったとくやむ。
友達は家へ戻って飯を食う気にもなれず酒を飲みだし、吉松のことを心配するお花にも勧める。
飲めない酒を飲んで眠くなったお花は先に寝てしまう。
友達は台所へ行き包丁を研いで、お花の寝間に忍び込む。
お花の顔を見ながら、「吉松の親父から受けた恩は何とかして返さないかんと思てるうちに死なれてしもた。吉松のからだが大丈夫と見極めたら、わしもじきに後を追うよってに、損な年月に生まれた、身の因果じゃと諦めてくれ・・・・」と包丁を振り上げたがそこは兄妹の情、思わずポロッと涙の一滴(しずく)がお花の顔へ。
目を覚ましたお花、「兄さん、わてを殺す気か!」
兄 「違う、違う。
まぁ聞いてくれ、実はな仲間内寄って、芝居をすることんなったんや。
わしに当たった役が、寝てる女を出刃で殺すっちゅう役当たったんや。ほんでお前が寝てるのん見てるうち、ちょっと芝居の稽古をしょ~と思てこんなこと
なった」
お花 「まぁ・・・・それならそらえぇけど。
ふっと目ぇ覚ましたら、あんたが出刃包丁、顔の上で振り上げてるやないか。わて、ホンマに肝が潰れたし」
兄 「肝が潰れた? あぁ~、薬にならんがな」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 恋患い(こいわずらい) – 恋のために心身を病むこと。「医者にも有馬の湯にも、惚れた病は治りゃせぬ」という諺があるように、医学では治せないとされました。
- 年月揃った(としつきそろった) – 同じ干支の年・月・日・刻に生まれた人のこと。この噺では、辰年の辰月、辰日、辰刻に生まれた女性を指します。非常に稀な条件です。
- 生き肝(いきぎも) – 生きている人間の肝臓。中国の古い医学書(架空の設定)では、年月揃った女性の生き肝を煎じて飲むと恋患いが治るとされています。
- 唐土(もろこし) – 中国のこと。「唐の国」という意味で、江戸時代には中国由来の医学や文化が珍重されました。
- 肝が潰れる(きもがつぶれる) – 非常に驚くこと。度肝を抜かれること。この噺では、オチの要となる慣用句です。
- 地口オチ(じぐちおち) – 言葉の掛け合いで落とす落語の技法。この噺では「肝が潰れた」が「薬にならない」という意味に転換されます。
- 干支(えと) – 十二支のこと。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類で、年・月・日・時刻を表すのに使われました。
- 刻(こく) – 江戸時代の時刻の単位。一日を12等分したもので、現代の2時間に相当します。辰の刻は午前8時頃を指します。
- 出刃包丁(でばぼうちょう) – 魚を捌くための包丁。刃が厚く重いため、この噺では殺人の凶器として登場します。
よくある質問(FAQ)
Q: 年月揃った女性は実際にどれくらい稀ですか?
A: 極めて稀です。同じ年に生まれるだけでも12分の1の確率ですが、月・日・刻まで全て同じ干支となると、理論上は12の4乗(20,736分の1)の確率になります。江戸時代の人口規模では、見つけることは事実上不可能でした。
Q: 生き肝を薬にするという話は実在しましたか?
A: いいえ、この噺の創作です。中国の医学書にそのような記述はありません。落語ならではの荒唐無稽な設定として作られたものです。
Q: なぜ友達は本当に妹を殺そうとしたのですか?
A: 吉松の父親から受けた恩を返すためです。親代わりとして育ててもらった恩義が、妹の命よりも重いと考えるほど深かったことを示しています。江戸時代の武士道的な恩義の概念を反映した設定です。
Q: 「肝が潰れた」のオチの意味は?
A: 「肝が潰れた」は「非常に驚いた」という慣用句ですが、同時に「薬に使えなくなった」という意味にもかかります。驚いて肝が潰れてしまったので、もはや薬として使えないという言葉遊びがオチになっています。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 元々は上方落語の演目で、後に江戸にも移植されました。現在は両方で演じられていますが、上方版の方が古いとされています。
Q: 現代でも演じられていますか?
A: はい、現在も多くの落語家によって演じられています。人情噺と言葉遊びが巧みに組み合わされた名作として人気があります。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 人間国宝。上方落語の復興に尽力し、この噺でも人情と滑稽のバランスが見事でした。「大山鳴動して鼠一匹」の代表例と評しました。
- 桂ざこば(二代目) – 豪快な語り口で、友達の葛藤と妹への愛情を力強く表現しました。
- 三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。江戸版の名演で知られ、吉松の夢語りから友達の苦悩まで、細やかな心理描写が特徴でした。
- 柳家さん喬 – 現代の名手。人情噺としての深みと、オチの言葉遊びのキレの良さを両立させた演出が評価されています。
- 桂文枝(六代目) – 上方落語の重鎮。テンポの良い語り口で、重いテーマを軽妙に演じる技術が光ります。
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この噺の魅力と現代への示唆
「肝つぶし」の最大の魅力は、重大な事件への期待と肩透かしの落差にあります。夢の中の女性に恋患いという異常事態から、妹殺害未遂という衝撃的な展開を予感させながら、最後は「芝居の稽古」という言い訳と「薬にならんがな」という言葉遊びで締める。この「大山鳴動して鼠一匹」の構造が、聴衆に安堵と笑いをもたらします。
特に注目すべきは、友達の心理描写です。恩義のために妹を犠牲にしようと決意しながら、いざ実行しようとすると涙が出てしまう。この人間臭さが、単なる滑稽噺を超えて人情噺としての深みを与えています。義理と人情の板挟みという、江戸時代の人々が直面した普遍的なジレンマが描かれているのです。
現代的な視点で見ると、この噺は「非科学的な迷信への盲信」というテーマも含んでいます。「年月揃った女の生き肝」という荒唐無稽な治療法を真に受けて行動してしまう。これは現代のニセ医学や健康食品詐欺にも通じる問題です。ただし、落語では友達の純粋さとして描かれており、批判というよりは人間の愚かさへの愛情が感じられます。
「恋患い」という設定も興味深いポイントです。しかも夢の中の女性に恋をするという、現代で言えば「二次元への恋」に近い状況です。江戸時代にも現実と虚構の境界が曖昧になる心理状態があったことを示しており、人間の普遍的な性質を表しています。
オチの「肝が潰れた」「薬にならんがな」は、緊張から一気に笑いへと転換する秀逸な地口オチです。慣用句の「肝が潰れる」を文字通りの意味に取り、「潰れた肝は薬にならない」と現実的な発想で返す。この言葉の二重性が、落語の言葉遊びの醍醐味を示しています。
また、咄嗟の言い訳として「芝居の稽古」を持ち出す発想も面白いところです。江戸時代、庶民の間で素人芝居が盛んだったという文化的背景があり、この言い訳に一定の説得力があった時代性も反映されています。
実際の高座では、吉松の夢語りの部分をどこまで詳しく語るか、友達が包丁を振り上げるシーンの緊迫感をどう表現するかが、演者の腕の見せ所です。人情と滑稽のバランスが、この噺の成否を分けます。
機会があれば、ぜひ実際の高座でこの名作をお楽しみください。笑いの中に人間の本質を見つめる、落語の魅力を存分に味わえる演目です。


